先週末は某局で「死」を題材にした特別番組が放映されました。ご覧になった方が多かったようですが、みなさまの感想はいかがでしたか?
私のもとには「もの足りなかった」という感想が多数寄せられた。テレビ報道においては、「死」はまだまだタブーであり、正面からこのテーマを取りあげることはできないことがよく分かりました。
以前、朝日系のテレビでも「平穏死」の報道がありました。覚えている方がいるかもしれません。この放送も、まったくおかしな放送でした。
「平穏死」と真逆の「延命死」なのにそれを「平穏死」として放映されていたので、「それは違いますよ!」とメールで指摘したら、「あれを平穏死とは言っていないはず!」との詭弁が返ってきました。
それどころか、テレビの画面を写真に撮ってブログに貼っていたら、恐ろしい排除命令が届いて、強制的に剥がされてしまいました。1月2日の本ブログで指摘したようにどこまでも上から目線なのです。
また「尊厳死」についての講演をしたら、「誰のための尊厳死?」という見出しで報道したのも、朝日新聞でした。「誰のため?」って、もちろん患者さんのために決まっているのですが。
「がんもどき理論は間違っている」という本を書いたのを知っていながら、「がんもどき本」の書評は載せても、私の本の書評が載ることはありません。さらにせっかく朝日新聞出版社から本が出ても、なんの反応もなく無視です。
朝日系列は新聞もテレビも、平気でウソをついたり真反対の報道ができるんだ、と恐ろしくなることばかり。たとえ「捏造」であっても「誤報」で誤魔化しておこう、という体質です。
こうした体質はあちこちで指摘されているとうりだと私自身も強く思います。
しかし、それは朝日系列だけとも言えません。他メデイアにおいても、敢えて「ほんとうのこと」は報道しないものです。それがもし国会機密であれば当然かもしれませんが、人間の尊厳の話でもそう。
政治とも宗教とも関係が無い、いのちの話です。人の命、人生の最終章の尊厳についてさえ本当のことは決して報道しないのが「報道」であるということを、身をもって教えられました。http://blog.drnagao.com/2015/02/post-4376.html
アメリカの29歳女性の「安楽死/自殺」を多くのメデイアが「尊厳死」と誤報しながら、どのメデイアも検証すらしません。だから「長尾和宏の死の授業」という本を書いたのですが。
昨日は、会う人会う人に謝ってばかりで、本当に辛い1日でした。こんな情けない想いを何回もしてきたのに、たまにスゴくいい報道をしてくれることもあるので「もしかして」と思い協力をしてきました。
しかし大切なことは報道されず、どうでもいい話ばかりが流される・・・
いい年をした大人が幼稚園みないな愚痴を書いて申し訳ありません。私は精神年齢が幼稚園並みなので、こんな表現しかできないのです。
多くの市民は真実を知らされないまま、間違った情報を信じています。しかし建前とはまったく違う現実に気がつき、激しい怒りが生じます。こうして、患者の想いと医者の想いが乖離する一方のように感じます。
明日からしばらく、さらに現実的な話を書いていきます。炎上して、いきなりこのブログは消えるかもしれません。しかしそれで全然いいと思っていますので、楽しみにしてください。