《1020》 末期がん患者の「完璧な死に支度」 [未分類]

ヘルパー職を辞したAさんは粛々と「死に支度」をはじめました。
いろんな持ちものを、ひとにあげはじめました。
「私が死んだら捨てられるやろ。そんなん、もったいないやんか」

Aさんは、クラリネットの名手でした。
何本かの楽器を奈良の師匠の元に返しに行かれました。
初心者のための練習用楽器として、寄贈されたのです。

お師匠さんは、びっくりしたことでしょう。
間もなくこの世を去る教え子が、楽器を返しにきたのですから。
返す言葉が見つからなかっただろうと思います。

自分の小物や着物を訪れる友人に惜しげもなくあげていました。
「もらってくれる人やったら誰でもええわ。燃やすよりええやん」
死ねばそうなると分かってはいても、それができないのが人間です。

ある日、訪問すると、新しい下着一式が置かれていました。
触ろうとすると、「それは、あげへんで」と言われました。
「それは私が死んだときに、着せてもらうやつ」と。

「自分では着られへんやろ。着せてくれる人も、もし汚い下着
やったらイヤやんか。だから新しいのを買ってきてもらったの」と。
あっけらかんと、笑いながらそう言いました。

葬儀屋さんのパンフレットと領収証が置いてあるのを見つけました。
「葬式の中身も、支払いも今日全部、終わってん」と、
軽く言い放ちました。

1週間後に訪問すると今度は、焼き場の領収書までありました。
「先に自分で払っといたら、誰も困れへんやんか」
たしかに先払いにこしたことはないけれど、初めて見ました。

さらに翌週、訪問すると、今度はお寺の領収証が見えました。
骨を入れるお寺の小さなコインロッカーのような箱の契約を
済ませて、永代供養料もすべて払い終わった、というのです。

さすがにそこまで周到に準備した人を初めて見ました。
唖然としていると、
「なんでえ。みんな死ぬやん。でもやっとかんと死んだ時に困るやん」

確かにそうですが、それを実行できるひとは極めて少ない。
Aさんには、何人か子供さんがいますが当てにしていません。
何度も子供さんたちにお会いしましたが、みな穏やかでした。

訪問から帰ろうとした時に、珍しくAさんから聞いてきました。
「長尾先生、私、あとどれくらいで死ぬの?」
「さあ、わからんわ。まだ大丈夫ちゃうか」

全然大丈夫でなくても、私はいつも必ずそう答えます。
「先生、綺麗ごとやなくて本当のこと言ってえや」
「分かっとる。でも本当のところ、俺もよう分からんのや」

思わず、本音で返してしまいました。
1カ月だと思っても、本人にはまず言いません。
ヘルパーさんと友人さんは、2人の会話を呆れて見ています。

「なんで、そんなこと心配するの?」
「言いたくはないけど・・・」
「言いたくはないって??」

「実は今日、貯金をおろして全額を寄付してきたの」
「寄付??」
「そう、難民活動の団体に寄付したのよ」

ここまで聞いて、さらに驚きました。
普通のひとは、お金を家族や子孫に残します。
しかしAさんは、ほぼ全財産をNPOに寄付してしたのです。

「先生、春までに死なんかったら現金ゼロになるから養ってよ!」
「ああ、俺の愛人として養ったっるわ」
子供達は、私のそんな下品な冗談を笑いながら見ていました。

(続く)

【PS】
昨日は、奈良で平穏死の講演をしていました。
市民、医療者、介護者、行政、マスコミなど
懇親会ではいろんな方がたと有意義な意見交換をしました。

最近、せっかく講演の依頼を頂いてもスケジュールが
満杯で、泣く泣くお断りすることのほうが多くなりました。
大変心苦しいですが、仕方ありません。

今日から、新しい研修医君が8日間、また勉強に来ます。
在宅現場に近い駅で待ち合わせて、そこからの出発です。
今日から依頼されたグループホームを一緒に訪問します。