《1047》 良し悪しでなく、止めどき [未分類]

昨日、自らの意思で抗がん剤を止めた在宅患者さん3人と
継続中の患者さん3人を、訪問診療しました。
6人とも、実にいいお顔をされていました。

抗がん剤を止めた3人は、晴々とした笑顔に見えました。
決して、やけくそでも、諦めでもありません。
「中止を自己決定した、できた」という満足感を感じました。

抗がん剤治療中の3人は、笑顔の奥に微かな不安を感じました。
髪の毛が抜け落ちているのが、どことなく辛そうでした。
私は「一緒に頑張ろうね!」と明るく声をかけてきました。

この4ケ月間、正月を挟んで、毎日毎日、抗がん剤について
思いつくまま、あれこれと書いてきました。
抗がん剤宝くじ説や競馬説から始まり勘三郎さんについても。

私は、抗がん剤を好きではありません。
自分ががんになっても絶対に飲まないと思います。
そうそう、胃ろうも絶対にしないと思います。

しかし、抗がん剤も胃ろうも否定しているわけではありません。
近藤誠先生や中村仁一先生とは、ちょっとスタンスが違います。
いい道具を上手く使いましょう、問題は使い方だと言ってます。

医学は科学で、医療は科学に基づいて行われます。
科学は科学的検証を経て、世の中に適応されます。
後に変わることがありますが、その時代ではそれが「真実」。

抗がん剤は、延命治療であること、当たり外れがあること、
遺伝子検査である程度の確率で事前に予測できることは真実。
世界中の何万人もの科学者が出した結論には重みがあります。

「文明の利器」の長所と欠点を知り、上手く使って欲しい。
どうか「現代医学のいいとこ取り」だけを目指して欲しい。
それが、私からの本シリーズ最終の、メッセージです。

そのためには、患者さんも賢くならなければいけません。
お医者さん任せ、はもう止めましょう。
ネットの発達のお陰で世界中の情報が簡単に手に入る時代。

情報にはガセネタもあるでしょうが、それも含めての情報。
よく勉強してから主治医と相談して、自己決定してほしい。
ただそれだけのことですがほとんどの人ができないのです。

私が抗がん剤も胃ろうもやらない理由は、そういう生き方です。
簡単に言えば、好き嫌いのレベル。
難しく言えば、それが私の死生観。

こうして書いてきた4ケ月の間、実に多くのかたから
様々なご意見や情報を頂戴いたしました。
この場をお借りして、御礼を申し上げます。

本シリーズは、このあと書籍化されると思います。
その節は、あらためてご案内します。
いずれにせよ、抗がん剤は「良し悪しではなく、止めどき」なのです。

PS)
今日は朝から、神戸で老人施設の職員の方を対象に
看取りの講演をします。
最近、医療者・介護者相手の看取り講演が増えました。

それだけ病院以外の看取りが難しいということでしょう。
施設での看取りには、多方面の知識と知恵が必要です。
朝一番から、頑張って死ぬ話をしてきます。

午後は北御堂というお寺で、今度はお坊さん相手の講演です。
お坊さんは死んでからしか現れませんが、本当は生きている
間に現れて一緒に看取りを手伝って欲しいという話をします。