《1058》 喪失、そしてその悲しみ [未分類]

今日で、2年です。
あの日のことは、私でさえ鮮明に覚えています。

昨日は、偶然、福島県との県境にいました。
栃木県大田原市で講演をしていたのです。
帰りに雪が残る那須連山を眺めていました。

2年前もあの山を見ていました。
あれから、2年・・・

阪神淡路大震災から18年が経過しました。
もう忘れているひとがいるかもしれません。
あの日生まれた子供がいまは働いています。

しかし、その悲しみは、いまだ心の奥に残っています。
私の周囲でも、いまだに当時の苦しみに悩む人がいます。
何年経とうが、その悲しみはほとんど、薄れないのです。

私は阪神大震災を知っています。
あれも現在進行形なのです。
いまだに身内を失くした家に一度も帰っていない家族がいる。

そこが、病死との違いです。
病気は、まだ理由が分かります。
しかし、災害や事故は、理由が分からないので一向に癒えない。

今日は大切なひとを失くされた方に心からお見舞い申し上げます。
近くまで行っただけで何もできてはいませんが忘れてはいません。
こうして毎日、書いていても、被災地を忘れることはありません。

新聞を広げると何とも言えない気持ちになります。
こうなることが分かっていて、何もできない無力さを嘆きます。
まるで、「時をかける少女2012年バージョン」のようです。

遠くに移られた方も、地元に残って頑張っておられる方も、
どうか長期戦に耐えて、備えてください。
阪神が20年でも終わらないということは、東北も同じはず。

以下、被災地以外の方への伝言です。
阪神大震災の経験から言えることです。
拙書「共震ドクター」と重なる部分はお許しを。

想像以上の長期戦になります。
これからが、本番、なのです。
被災地に行かなくてもできることがあります。

  • 被災地の野菜や魚介類や肉をネットで買う。
  • ふるさと納税をする。
  • ご縁があった被災者に手紙を書く。

それ位のことしか思いつきません。
しかし、やったほうがいいと思います。
忘れてはいけません。

先週、気仙沼の大島に住む方からお手紙を頂きました。
「平穏死・10の条件」を読んで思い出したと。
実は、2年前の5月2日に大島でお会いした方です。

お手紙を頂き、「元気だったんだ」と嬉しくなりました。
あの時は、興奮されていましたが、安心しました。
でも医師としてはこれからが心配です。

高台移転の記事が一番、心が痛みます。
阪神大震災の時、同じようなことがあったからです。
「復興」という名の区画整理に10年もかかったからです。

その間に、長老は亡くなっていきました。
度重なる会議の心労がこたえたのでしょう。
命が助かっても、その後のストレスが大きかったのです。

「平地に住む」という選択肢もあると思います。
これは、震災直後から一貫して言ってきました。
被災された方から、怒られるかもしれませんが。

飛行機から見たら、日本人は海岸線に住んでいます。
尼崎市は、ほとんどが海抜ゼロメーター地帯です。
私は移転より、「逃げる訓練」だと思っています。

今日、この日に、あたらめて提言させてください。
そして、どうか仮設住宅が早く解消されることを
同じ国民として強くお祈り申し上げます。