玄侑さんは、いろんなことをお話しされていました。
カンボジアやラオスでは、定期的に川が氾濫するそうです。
家は、最初から定期的に流されることを前提に作られると。
仮の住処であると覚悟しながら川辺に住んでいるそうです。
被災地では10mもの防潮堤建設が議論されています。
防潮堤ができないと、街造りの絵が書けないそうです。
しかし、そもそも人間が自然に勝つことができるのでしょうか?
玄侑さんは、「怯えながら生きる」と仰いました。
とても印象に残っています。
自然と対峙し、怯えながら生きることが大切だと説きました。
映画「無常素描」の中に、岩手県の
ある街の風景があります。
高台の石には、「浪を砕き、郷を護
る」と書いてありました。
しかし、その横にある防潮堤は、無
残に決壊していました。
私は、救援物資の届かないところに
物資を配りながら、
海岸線の様子を、被災3県を南下してきました。
その直感から、今、こうして提言をしています。
私は、「護ることより逃げること」、と
阪神間の人々に
繰り返し、講演、執筆してきました。
海抜ゼロメーター地帯に暮らす尼崎市民の命を守るためです。
防災は最大の予防医療である、とも。
防災で多くの命が救える、のです。
そしてその本質は、逃げることなのです。
防潮堤建設が復興の足かせになっては本末転倒です。
どうか、再び海辺で暮らしたい方の希望が叶うこと
をお祈り申し上げます。