大阪大学総長だった鷲田清一さんが、3年前、鳥取で講演されました。
「待つ」ということ。
現代は、待てない時代。
待つことがいかに大切な時代に生きているか。
たしか、そのような内容だったと記憶しています。
3年前の私には、まだ分かったような分からないような内容。
この言葉の意味を充分に理解できる状態ではなかったようです。
しかし、今、あらためてこの言葉の意味を噛みしめています。
平穏死の本を3冊書いて、講演を沢山頼まれるようになってから。
どうして平穏死できないのか?
その理由はいくつかあります。
最大の理由は、「待てない」からです。
病院の医療は、待てないことが最大の特徴です。
時と場合によります。
1分1秒を争う場合は、待っていてはいけません。
遅いことは、患者さんに多大な不利益を与えます。
ただ、終末期においては「待つ」ことが全て。
それができないので、平穏死できないのです。
もう現代には「順調」先生は、居ないのです。
医療が待てないのだから、介護はもっと待てないのです。
しかし、本当は、待てるのです。
なぜなら、そこには終末期の患者さんしかいないからです。
「待つ」ということ
の意味を、あらためて噛みしめている最近です。