《1108》 中村 中さんの歌に感じるもの [未分類]

中村中(あたる)さんという歌手をご存知ですか。
美しい姿と歌詞と曲と声で、私たちを魅了します。
しかし「彼女」は、戸籍上は男性です。

そう、性同一性障害だと公表されています。
体は男性ですが、脳は女性なのです。
そんな病気が実際にあるのが認知されたのは、最近。

たいてい小さいときから「おかま」と言われてきた。
あるいは、男性でありながら脳が女性であることを
ある年齢まで隠して、育ってきています。

いわゆる同性愛者とはちょと違うと思います。
だから「おかま」という呼び名はちょと違う。
しかし、そうした偏見の中で育ってきました。

そうした知識があれば、誤解されずに済んだ。
しかし、自分自身が本当にそうなのかを問う事すら、
思春期にできないままに育ってきたのが現実でしょう。

神様は苦悩を与えた、代償として音楽の才能も与えた。
舞台演劇にも出演されています。
多彩な表現者として活躍中です。

彼女の曲を聴くと、なんともいえない哀愁があります。
上手く表現できませんが、見たことのない魅力がある。
社会から誤解されてきた歴史と奇妙な現実が入り混じる。

大型連休の前半、彼女の曲を何度も聞いて過ごしています。

男と女の境界で生きる彼女の声に感じる何かを探しました。
その中で性というものは連続性があるものだと思いました。
そして、時に揺れ動くはずです。

愛と恋の違いはなにか?
40年ぶりに、そんなことを考えていました。
「恋」とは移りゆくもの、でしょうか。

しかし、中村中さんの歌を聴きながら、
「愛」とは変わらないものかもしれない。
そんな気がしました。

性の境界を生きる人間しか醸し出せない
「愛」を、彼女の作品の中にみていました。