《1128》 病院よりも介護の方が平穏死を知っている [未分類]

昨日は、大阪で開催された「クオレ介護フォーラム」で
「認知症と平穏死」という講演をしていました。
昨年は、元祖平穏死の石飛幸三先生とご一緒でした。

お医者さん、看護師さんなどの医療者を含め、多くの
介護関係者が来られていました。
今日は、その感想を簡単に述べます。

ひとことで言うと、この1年で世の中の空気が変わった。
特に介護施設における看取りの意識が大きく変わりました。
積極的に看取りに取り組む施設が、さらに増えてきました。

平穏死、自然死、尊厳死という言葉も、介護の現場では
結構普通に使われるようになりました。
全国的にはまだ一部かもしれませんが、かなりの前進です。

一方、大きな病院のほうは、ほとんど変わっていません。
平穏死という言葉も知らなければ、そうした話に興味もない。
相変わらず、延命治療に精を出している、そのような印象です。

すなわち平穏死の理解は、介護施設の方が確実に進んでいます。
興味を持って勉強するということは、前進するということです。
昨日の会の懇親会で様々な施設の実態報告を聴き、そう思いました。

病院の先生から「どこからが平穏死モードになるか分からない」
という質問を、いろんなところでお受けします。
しかしこれは私自身も日々、とても難しい課題だと思っています。

「私が決める尊厳死――不治かつ末期の具体的提案」という本が
少しはヒントになるのかもしれません。
しかし、私は難しい理屈より、感性であるとも思っています。

家族との風通しが良ければ、「ああ、もう無理そうですね」
というような意識の共有は充分可能であると思います。
医療者は感覚で物を言うのを嫌いますが、時には感覚です。

介護と医療の連携についてもお話をしました。
高齢者医療においては、介護が土台となるイメージ。
あるいは医療が介護に内包されるイメージをお話しました。

今週は、3つの講演で、延べ十数時間、実にいろんな方と
いろんなことを意見交換をいたしました。
平穏死に関しては医療よりも介護の方の理解が進んでいます。