《1197》 3度目の相馬野馬追い [未分類]

伊丹空港から仙台に向かう飛行機は、
とても小さく、仙台空港が悪天候のため
着陸できなければ関西国際空港へ戻って来る、
という条件付きで出発しました。

その話を聞いて慌てて飛行機を降りた人もいました。
悪天候のお陰で、雲の上に出ると、
これまで見たことのないような奇怪な雲が
夕焼けに照らされていました。

機内の雰囲気は、観光に向かう感じではありません。
やはりどこかの復興に仕事で向かうような
感じの乗客が多かったです。

果たして仙台空港に無事着陸できて、
福島県相馬市にレンタカーを雷雨の悪天候の中、
走らせました。
相馬野馬追いの前夜祭の2次会に加わらせて頂きました。

全国から医師や大臣クラスの政治家、自治体の首長さん
はじめ、実にいろんな人たちが集まっていました。
顔見知りの方も多く、久しぶり、といった感じです。

なかにはスリランカのボランティア団体も来られていた。
ボランティアをしているのではなく、させて頂いている、
と何度も強調されました。

あるいはイスラム教の宣教師も、来られていました。
人種や宗教を超えて、ここ相馬に集まっていました。
みなさん立谷秀清市長(医師)に会いたくて来ている。

福島の魚や野菜、そして酒は本当に旨い。
ついつい飲みすぎてしまいました。
いろんな方と、また新たなご縁ができました。

あれから、2年4カ月。

まだまだ、大変そうです。
10年、20年、続くのでしょう。
阪神大震災を経験しているので、想像できます。

しかし、あの災害をきかっけに生まれたご縁が一杯ある。
相馬野馬追いは、これで3回目だが、ずっと昔から
来ているような錯覚を起こしそうになります。

マイナスをプラスにできたらいいな。

いやしなくてはならない。

被災地に入るたびにそう思います。
我々の日常と全く違う日々を送っている人たちがいる。
それを感じながら、息の長い支援を続けたい。

拙書「平穏死・10の条件」は、冒頭、仙台行きの飛行機
の様子から始まりますが、昨夜と同じでした。
昨年の正月は、気仙沼の面瀬中学校に向かっていました。

あれからまだたった1年半しか経っていません。
しかしその間、自分自身の周囲にもいろんなことがあった。
被災地で知り合った人たちにもいろんなことがありました。

映画監督の塩谷俊さんが先日、急逝されたのもそのひとつ。
本当なら酒を飲み交わしていたはずの、同世代の友人が
急死されたことは、関係者にとって大きな悲しみでした。

今日の相馬は、天気予報と反対に晴れています。
これから500頭近い騎馬が南相馬の野馬追い会場で
争奪戦を繰り広げます。

友人とともに、南相馬から原発の近くにも行きます。
昨年もなんとも言えない「悔しさ」を体感しました。
今年も、その後どうなのかをしっかり感じてきます。