《1203》 日野原先生、あえて呼ばせていただきます [未分類]

今春、始発電車で101歳の日野原重明先生を見ました。
先生は100歳を超えた今も、現役で働いておられます。
背中は少し曲がっていますが脳は縮んでいないようです。

全身は縮んでいるのに脳だけ萎縮していない日野原先生を、
見て、あのご活躍をどう考えたらいいのかと思いました。
脳だけ縮まない日野原先生の方が「異常」かもしれません。

もしそれを病気と呼ぶなら、私は「日野原病」と命名します。
もしかしたら「認知症」が正常で「日野原病」が異常ではないのか?
そのように考えたほうが合理的だと感じる、最近の私です。 

認知症の人が400万人を超えたと報道されています。
日本社会が高齢化しているので増加して当然でしょう。
長生きすればするほど認知症になる確率が高まります。

著明な専門家は近い将来、認知症の人が高齢者の6割を
超えるだろう、と予測しています。
あながち、誇張ではないと思います。

そうなると、まさに認知症=多数派=正常?、
認知症でない=少数派=異常?、
となる時代が来るかもしれません。

しかし認知症を特別な病気として隔離するという手法に
違和感を覚える人は、まだ少数派です。
多くは施設に入れて隔離すべきと思われているようです。

とはいっても、暴言を吐いたり、夜中に寝なかったり、
幻覚があったり、対応に苦慮する場合もあるのは事実。
また少数だが若年性認知症という現実的課題もあります。

いずれにせよ。認知症が標準という世の中の構築が
必要だと思います。
認知症になっても暮らし続けられる街づくりです。


《PS》

昨日は、某テレビ局が取材に来ていました。
認知症の方のご自宅を、何軒か回りました。
どこも息子、娘さんがとっても頑張って介護されていた。

認知症の在宅療養には、子供の支援が不可欠です。
しかし大きな負担がかかっています。
介護保険がカバーできないところはNPOが支援しています。

今日は、大阪で日本尊厳死協会・関西支部の講演です。
認知症、平穏死、親孝行の話をします。
昨日からのテレビも取材に来るそうです。