《1204》 「移動という尊厳」、ふたたび [未分類]

「認知症って本当に病気なの?」に
驚かれた方もいるでしょう。
今日は、「移動という尊厳」について書きます。

世の中には「牢屋」という場所があります。
悪いことをした人が入れられる場所です。
そこでは労働しなくても生きていけます。

3食付いていて、静かな環境で読書もタップリできます。
もし機会があれば、そこで一休みしたいところです。(笑)
しかし何故そんな天国のような場所を「牢屋」と呼ぶのか?

それは、そこから外に出られないからです。
人間は、たとえ用事が無くても街中や自然の中を、
勝手きままに、ウロウロしたいものなのです。

私は、それを「移動という尊厳」と呼んでいます。
年を取るに比例して、行動半径が狭くなります。
それは自然現象です。

都会まで出ていた人が、いつしか近くの街中だけになり、
やがて自宅の周囲、そして室内のみと行動半径は、
生命エネルギーに比例してどんどん狭くなってきます。

それでも人は、なんとか移動しようとする動物です。

余命2週間の末期がん患者さんも、在宅療養している方は、
近場の温泉に家族旅行に行かれます。
ドライブだけを楽しむ人もおられます。

筋委縮性側索硬化症(ALS)の方も
人工呼吸器と酸素ボンベを装着しながら
海外旅行に出かける人までおられます。

何日後には必ず家に戻るのに、わざわざしんどい目をしてでも
海外旅行をするのは何故でしょうか?
「移動」が人間の本能であるからであると思います。

さて、認知症の人はどうでしょうか?
施設や病院に「入院」という名目で
「隔離」されてきた歴史があります。

かつては統合失調症も同じでした。
「隔離」といえば、病院以外にも介護施設があります。
特別養護老人ホーム、老人保健施設、グル―プホームなどです。

私が知っている施設の玄関口は、厳重に施錠されています。
私が出入りする時も職員が電子キーの暗証番号を押してくれます。
そこまでやらなくても、と思うくらい厳重な管理下にあります。

もし入所者が徘徊して施設外でなんらかの事故にあえば、
施設側は管理責任を問われるので仕方がないのかもしれません。
実際、事故があれば施設を訴える家族も少なくないと聞きます。

しかし何度も「脱走」を試みる入所者さんの顔を見るたびに
「移動という尊厳」という言葉がどうしても頭に浮かびます。
職員は問題行動と言いますが、正直、可哀そうだと思います。

「脱走」は、人間、いや動物の本能かもしれません。
施設入所の認知症の人の一部は当初は必死で「脱走」を試みます。
2階から「脱走」した人もいました。

しかししばらくすると、徐々に大人しくなります。
「順応」ないし「適応」なのでしょう。
まあ、「諦め」と言ったほうが適当かもしれませんが。

デイサービスやデイケアもどこか似ています。
多くは半日間、施設の中に高齢者を「監禁」します。
本人が「監禁された」というので、そうなのでしょう。

過激な言葉を使って、申し訳ありません。
一方、知り合いのあるお寺の住職さんは、
広い境内でデイサービスを行っています。

認知症の人を、境内に「放牧」するのです。
砂遊びをしたり、その辺でお昼寝をするなど、
各自が思い思い、好きなことをして半日を過ごします。

広い境内で「移動という尊厳」が確保され、
太陽光を浴びながら好きなことをして過ごすと、
夜がよく眠れるというデイサービスもあります。

私は思わず、「放牧系介護」と命名してしまいました。
認知症ケアの基本は、「移動という尊厳」の確保であると考えます。
実は、これは認知症に限らず、すべての人に共通であると思います。