《1215》 沖縄戦を生き延び尼崎で生きる人 [未分類]

ここ尼崎市には、沖縄出身の方が沢山住まれています。
昨日、ある高齢の在宅患者さんを訪問診療していたら
帰りがけに奥さんが以下のようなことを言われました。

終戦の時、私はまだ12歳だった。
沖縄戦では、防空壕の入り口に蓋をされて
毒ガスのようなものを撒かれて殺された。

みな死んでしまったが自分を含めて何人か生き残った。
しかしみんな耳をやられていた。
幼馴染も耳をやられた。

みんな、お母さん助けて!と言いながら死んでいった。
死体をまたぎながら生きていた。
生き残るのに必死だった。

彼女を68年間探していたら、隣町にいることが分かり
一昨年、終戦後、はじめて遭った。
お互い感無量だった。

しかしあの日、あの防空壕であったことはお互い、
他人に話すこと無くこれまで生きてきた。
話すと殺される、とずっと思ってきた。

沖縄の人は、殺されるか自決するしか無かった。
助かったのは、偶然米兵と一緒にいて爆撃されなかった人。
自分はまだ12歳の子供だったが様子は全部、覚えている。

長尾先生にお願いしたいことがある。
それは、同じことを繰り返してはいけないこと。
それが先生の仕事です、よろしくお願いします。

そんなことを言われました。
横には、認知症で寝たきりになったご主人が寝ながら
黙って聞いておられました。

私は戦争が終わって13年後に生まれました。
もちろんあの戦争を直接知りません。
世の中は知らない人のほうが圧倒的に多くなりました。

戦争については、本や新聞やテレビで知っているだけ。
しかし体験者の話は、生々しく、何よりも重い。
特に沖縄戦を生き延びた人の話は、本当に貴重でした。

もっともっと知らないと、とあらためて思いました。
今日は親父の墓参りをしてから、
戦没者のご冥福をお祈り申し上げます。