《1219》 「弄便」は赤ちゃんへの回帰現象 [未分類]

有吉佐和子さんが「恍惚の人」を書かれたのが1972年。
翌年には、森繁久彌さん主演で映画化もされています。
当時はまだ「痴呆」という言葉しかありませんでした。

我が国において認知症を描いた衝撃的な作品でした。
特に便を弄ぶシーンと介護する家族の大変さが、
中学生だった私にも、鮮明に記憶に残っています。

実はあれから40年経過した現在、この小説の時代の
認識と変わった点がいくつもあります。

「異食」とは食べ物でないものを口にすること。
「弄便」とは便を弄ぶことです。

「恍惚の人」ではこの2つの印象があまりにも強すぎて、
認知症=人格崩壊と誤解されてきたように思います。

当時はこれらの行為には、それができないようにすること、
すなわち身体拘束や薬物の使用で対応していました。
しかし現在こういう認識は根本的に変わりました。

現在、異食や弄便は赤ん坊への「回帰」とされています。
赤ん坊は、目についたものは何でも口に運びます。
また、オムツの中に便が出たら不快なので泣いて訴えます。

しかし高齢者の場合はたまたまそこに手が届くので
自分で取り、除こうとして便に触るだけなのです。
そして手が汚れるので、壁で拭くことになります。

すなわち異食や弄便は、「恍惚の人」の時代には、
「退行」という概念でとらえられていました。

しかしなんとなく「人間からの逸脱」を感じさせる、
あまりいい言葉とは言えません。

現在、これらは「回帰」としてとらえられています。

つまり、「赤ちゃん帰り」です。
これは長生きすれば自然なこと。
天寿を生きればまさに赤ちゃんに帰ることになります。

帰れるくらい長生きできるのは、幸せなことです。
そして赤ちゃんを縛ったり薬を飲ませることが無いように、
認知症の方を縛ったり薬を出すのは間違いなのです。

在宅現場では、実の親の下の世話をしている子供さんを
見ることが日常です。
自分のオムツを替えてくれた親のオムツを、今度は子供が替える。

すなわち、60年前と立場が全く逆転しています。
なんという運命の仕業でしょうか。

しかし親子間で受けた恩を返し合っているのですから、
実に微笑ましい光景でもあります。

「回帰」という言葉を知れば、「恍惚」のイメージは消えて、
「輪廻」という言葉さえ浮かんできます。

一方、「お漏らし」はどうでしょうか?
これも老化現象ととらえるべきです。
赤ちゃん返りだからすぐにオムツを当てればいいのでしょうか?

これはちょっと違います。安易にオムツを当ててしまうと、
プライドを傷つけて、被害妄想が憎悪になることがあります。
できるだけトイレで排泄するように支援することが基本です。

赤ちゃんもオムツから一挙にトイレでの排尿には至りません。
失敗を重ねながら母親に手伝ってもらい少しずつ排尿が自立する。
私はその逆のことが起こっているだけと考えるようにしています。

まるで映画のフィルムの逆回しのような状態とも言えます。
よく分からない時は施設の介護者に相談するようにしています。

彼らは排泄介助のプロです。
安易なオムツ当てで認知症の人に屈辱感を与えてはいけません。
常にその人のプライドや尊厳を意識するように心がけています。