《1274》 10が四つ並びました。 [未分類]

昨日、台湾の趙教授のことを書いたら、
もっと詳しい話を聞きたいとの要望を、
何人かから頂きました。

口述筆記であり、詳細な数字等は自信がありませんが
自分のメモに書いた事を以下に転記させていただきます。

趙教授は敬虔なカトリックの信者です。
緩和ケアの勉強のため、アメリカに留学されて
1993年に帰国されました。

今回ご縁あって、私の「平穏死10の条件」の
台湾版の翻訳本の前書きを書いて頂きました。
しかしお会いするのは今回が初めてでした。

ちなみに台湾版のタイトルは
「善終 ――最美的祝福――」です。

善い終わり、なんて素敵な表現でしょうか。

台湾の書籍では、「死」という文字はタブーだそうです。
「末期」もダメとのことで、「終」でもギリギリだとか。
少し前まで日本もそんな雰囲気でしたね。

さて、かつて台湾の医療現場では、末期がんの終末期には
全員、心臓マッサージと人工呼吸が必須であったそうです。

医師たちは、それらが意味がないことが分かっているので、
形式的にやっていたとのこと。
いや、そうやらざるをえなかった。

趙教授は、まず56名の医師を克明に調査されました。
医師は全員、形式的な蘇生処置はやりたくないと答えたそうです。

1994年には、7626人の医師にアンケートを実施し、
1338人から回答を得ました(回収率17.6%)が、
同様の結果だったそうです。

しかしそれをしないと訴訟になる可能性があるため
イヤイヤやっていることを確信したそうです。
そこで趙教授は、まず法律が必要だと考えました。

当初は国会議員や医師の激しい反対にあったそうです。
当然でしょう。
しかし議員を一人ひとり、6年間かけて法制化の必要性を説得。

法制化を訴える年間100回以上の講演を6年続けました。
17本の管が入って亡くなった人の写真が一番胸を打っと。

その結果、100%の賛成をもって尊厳死法が可決しました。
3分の2どころではない、全員一致でないと可決しないそう。

かくして延命治療の非開始も中止も、
リビングウイルがあれば合法となりました。
ただし、対象は不治かつ末期のがんだけです。

自分のリビングウイルが表明できなくなった時
のために代理人を定めておく工夫も法制化されています。

あくまで本人のリビングウイルが土台になるのですが、
代理執行人を上位3名まで順位をつけて指名できる仕組みに。

第一順位は友人、知人でも構わないそうです。
遺産相続人ではないので争いにはなりません。

繰り返しになりますが、台湾の尊厳死の対象は、
不治かつ末期のがん患者さんのみに限られていて
臓器不全症や認知症の終末期は法律の対象ではありません。

しかし一番に反応したのが、台湾のALS協会だったとのこと。
私たちALS患者も尊厳死の法律の仲間に入れてください、と
意思伝達装置(レッツチャト)を用いて要望してきたそうです。

法律制定後は、末期がんの方に形式的な蘇生処置や延命処置が
減り、終末期の患者さんの尊厳が確保されたそうです。

現在、台湾の方はみな趙教授に感謝しているそうです。

台湾の人口は2300万人で、
13の医学部があるそうです。

日本緩和医療学会に相当する
安寧医療医師の会員は、1200人。
安寧医療看護師の会員は、3200人。

趙教授は現在も病院で、緩和ケアに従事されています。
年中無休で末期がんの患者さんの看護にあたっています。

10月10日に、趙教授にお会いして、食事をして、
「平穏死10の条件」と、出たばかりの
「抗がん剤10のやめどき」、をプレゼントしました。

10が四つも並んだことに気がついたのは、
午前零時を回ってからでした。

なんというご縁、不思議な因縁でしょうか。
機会があれば、成功大学を訪問したいと思います。

PS)

平穏死10の条件の
韓国版と台湾版の表紙を添付します。