《1295》 癒しの国・出雲より [未分類]

日本死の臨床研究会に出席するため出雲に来ています。
「死」という言葉を、おおっぴらに語れる有難い研究会。
この研究会と日本尊厳死協会ができたのは同じ時です。

1976年、昭和51年。
私は高校1年生でバレーボールをしていました。
みなさまは何をしていましたか?

この1976年には大きな大きな意味があります。
病院死と在宅死の割合が逆転した年なのです。
以来、約40年間、病院死の時代が続いています。

韓国では、それが逆転したのは2003年。
たった10年前。では、中国は?
おそらくまだ逆転していないのではないか?

アジアの中で日本が最初に逆転して、その後に韓国。
おそらくその2つだけなのではないでしょうか?
アジアで見ると病院の時代は始まったばかりです。

記念すべき、1976年にできた本研究会が、
癒しの国・出雲で開催されたことに大きな意味がある。
屋上で朝風呂に浸かりながら、宍道湖を眺めていました。

出雲には豊かな医療神話や伝承があります。
出雲は温泉の宝庫でもあります。
現在でも温泉療法、湯治は活きています。

そして出雲は、薬草の宝庫です。
出雲国風土記には、65種類の薬草が記載されています。
日本医学の源流は、こうした薬草、現在の漢方にあった。

さて話は変わりますが、昨2012年は記念すべき年でした。
古事記編纂1300年の節目で、出雲などで各種イベントが開催。
そして、今年2013年は、さらに凄いことが重なっています。

伊勢神宮の20年ごとの式年遷宮と、
出雲大社の60年ぶりの遷座の両方が重なった年なのです。
おりしも先週、お伊勢さんの外宮にお参りをしてきました。

そして今朝は、出雲大社のすぐ近くにいます。
伊勢が光の国(東方、朝日)であるとするなら、
出雲は影の国(西方、夕日)だそうです。

古事記の中に最初に「死」の記述が出て来るのは、
イザナミノミコトの「神避り(かむさり)」です。

「死」とは、世界の移行であり、生存世界から
死後世界(黄泉国)へと「神去る」ことだそうです。

繰り返しになりますが、死とは移行、変容であって
終わりでは無く、あざなえる縄のように反復継続連鎖。

死をもって終わりと見るか、移行や変容のステージの
始まりと見るかで、死生観は大きく変わってきます。
そんなことを教えてくれるのが、この研究会です。

出雲地方には、もの凄い数の人が訪れています。
ホテルや旅館はどこも超満員。
私も昨夜は野宿寸前で、なんとか宿が見つかりました。

今日は、浜田市を超えて益田市での講演に向かいます。
松江駅から特急で、2時間10分。
島根県は、横に長い、美しい県です。