《1357》 被災地を忘れない [未分類]

一昨年の三が日は、被災地をウロウロしていました。
気仙沼市立面瀬中学に3日滞在し、3日は集会所で
仮設住宅の方に高血圧の講演をしていました。

1月3日の夕は、福島県相馬市の立谷秀清市長(医師)と
市長室で2人でいろんな話をしたことを思い出します。
立谷さんは正月も休みなしで、ビッシリ働いていました。

「震災後1日も休んでいない」とも言われていました。
私も休み無しの24時間365日男ですが、
心の中にはいつも立谷先輩の姿があります。

診療をしたり、その合間に講演をしたり、
本を書いたりもしますが、
心の中では被災地を忘れることはありません。
いつも案じています。

復興の遅れは、まさに阪神大震災の時と同じで心が痛みます。
私はその直後に尼崎で開業しましたが、芦屋市民病院時代の
患者さんは、地元芦屋市の復興に御苦労なさっていました。

再開発や街造りの会合に連日連夜駆りだされていました。
80歳を超えた方にさらなるストレスが覆いかぶさりました。
復興計画が一応の形になるまで10年近くも要しました。

その前にその自治会長さんはこの世を去りました。
せっかく生き残ったのに、残りの時間は、
復興の会議のために費やされました・・・

復興とはそんなものだ、とか
行政とはそんなものだ、というご意見があるでしょう。
しかし、どうしても腑に落ちないことが沢山ありました。

現在の東北の被災地の復興の遅れの報道を見ていると、
阪神の時とまったく同じことで、呆れてしまいます。
おそらく何度起きても、同じようにしかならないかも。

阪神といえど、実はまだ終わっていません。
だから東北は、20年経っても終わりません。
私たちには、東北の20年後が何となく見通せます。

そんな歯がゆい想いのところに、宮城県石巻市から
地域包括ケアの講演依頼が舞い込みました。
3月27日(木)の夜とのことです。

もちろん喜んでお受けしました。
知り合いもいるのでゆっくり情報交換したいです。
当院のスタッフたちも一緒にお邪魔しようかと。

私が企画した、震災の記録映画「無常素描」は、
海外でも公開され義援金が集まったそうです。
その中には壊滅した石巻市民病院も描かれています。

その時、その映像を一緒に撮ったスタッフも一緒に伺う予定。
3年という節目の時に、何がどうなっているのか検証したい。
今回その周辺の医療や街づくりについてもお話をしたい。

いまから石巻に遊びに行くのがとても楽しみです。

なに、遊びに行く?
なんて不謹慎な。
そんな声が聞こえてきそうです。

しかし私は敢えて「遊びに行く」と言いたいです。
友人・知人に会って、飲むためにそこに行きます。
行かないより行ったほうがいいと思っているからです。

震災から4カ月後に書いた「共震ドクター」という本も
みなさまに読んで頂くために沢山持って行くつもりです。
その時は緊急提言のつもりで書いたのですが早すぎました。

被災地の皆様はどんな気持ちで新年を迎えてられるのか。
それを想像すると、胸が締めつけられそうになります。
絶望感で一杯の人もおられることでしょう。

1月19日には地元尼崎でも
「被災地を忘れない会」が開催されます。
尼崎の人達と被災地のリーダーは定期的に交流しています。

仮設住宅でのアルコール依存、孤独死や自殺という
問題は阪神の時とまったく同じのようなので、
私も無力感で一杯です。
被災地の復興は、これからが本番だと思います。