《1358》 なんでこうなるの? [未分類]

今日も世間は、まだ正月休みですね。
私はボチボチ始動です。
というか、正確にはずっと動いています。

病人さんには大晦日も元日もありませんから。
昼も夜も無い。
在宅医療に従事しているとそれは当たり前。

実は、大晦日に2人の看取りがありました。
1人は、除夜の鐘の直前に旅立った人を
除夜の鐘の直後に往診していました。

ですから、どこか始動なのかよく分からない。
実は、年越しをはさんで、
患者さんや知人が4名も旅立たれました。

昔から年末年始は、旅立ちによく当たります。
病院で当直していても、本当によく当たった。
そして開業してからも、在宅で、よく当たる。

それは偶然なのか、自分が引き寄せているのか
まったく分かりません。
おそらく患者さんが呼んでいるような気もする。

一昨年も、元日の午後、気仙沼に向かうべく
伊丹空港から仙台行きの飛行機に予約無しで
飛び乗ろうとしたら1分違いで乗れなかった。

仕方なく次の飛行機を喫茶店で待っていたら、
看取りの電話が鳴って、尼崎に呼び戻された。
「『平穏死』10の条件」は、そこから始まります。

その時「患者さんが呼んでいるんだ」と感じました。
その飛行機に乗っていたら仙台から引き返していた。
乗れなかったので、往復の飛行機代と時間を得した。

昨年の大晦日の夕方も15年間ぐらい診ていた人を
偶然近くで仕事をしていて、お看取りをしました。
その方は普段は、他の常勤の医師が診ていました。

私がその人の顔を見るのは実は2~3年ぶりでした。
しかし丁度うまい具合に(?)看取ることができた。
もちろん、平穏死、大往生です。

実はヘルパーさんが、息をしていないことに気がついた。
そのへルパーさんは、私も知っている元・アイドルでした。
訳あって、そこにボランティアとして来ていたのです。

旅立った方が、会いたかったご家族と、
初めて会う元・アイドルのヘルパーさんとに、
合わせてくれたような気がしてならなかった。

珍しいボランティアヘルパーさんと、家族と、
昭和のアイドル談義に花が咲きました。
旅立った人は、耳元がうるさかったと思います。

看取りというと荘厳なイメージかもしれませんが、
実際は、ワイワイ、ガヤガヤみたいな感じです。
時には気分が高揚してお祭りのようなことにも。

病院の最期とは全く雰囲気が違います。
年末、ある病院に末期がんの方をお見舞いに行きましたが
久々に見る管だらけのお姿に、心が痛みました。

年が明ける、まさに直前の看取りも不思議でした。
さあこれから飲もうかと、グラスにワインをついだ
瞬間に携帯電話が鳴りました。

もし電話が30秒遅ければワインを一口飲んでいたので
車に乗れないところでした。とにかく
いつも絶妙のタイミングで電話が鳴るのです。

こんなことを書くと、引かれるでしょうが、
お正月に免じて許してください。
どうも患者さんと繋がっているような気がします。

不思議な力。
それは、“ご縁”というものかもしれません。
ご縁のある方とは、とことんご縁があるような。

長く町医者をしてると本当にそのように感じます。
正直に告白すると、実は勤務医の時もそう感じました。
自分が当直の夜に受け持ち患者の旅立ちが多かった。

研修医の時に勤務していた病院では、大学病院に帰って
月に1回だけの当直している夜にかつて受け持ちだった
患者さんを看取るという巡り合わせになることもあった。

とにかく、年末年始になると異常な磁場モードに
入るような気がしてなりません。
なにせ、毎年必ず、元日の看取りがあるのです。

ベテラン看護師さんなら、こんな気持ちが理解できるかも。
今日はなんともいえない正月の心情を書かせて頂きました。
ウソのような本当の話です。