《1367》 やしきたかじんさんは死んでいない! [未分類]

関東の人には、ちょとピンとこない話かもしれません。
先週末はたかじんさんの追悼番組が沢山ありました。
親しかった人が出てきて、ワイワイやっていました。

ジメジメしたことを彼が喜ばないことをみんな知っている。
だからまだ生きているかのように、芸人さんがもてはやす。
でも、みんな心の中で泣きながら笑っているのが見えました。

本当に親しかったひとが笑って、たかじんさんネタを
話せるにはもっと時間が経たないと酷かとも思いました。
笑いを取ってもいいのですが、やはり悲しいものは悲しい。

親しい人の死を受け止めるまでには、充分な時間が必要です。
たった1週間やそこらでは、はっきり言って無理でしょう。
しかし連休なので特別報道番組が組まれ賑やかに追悼された。

やっている人は内心、辛かったと思います。
見ているほうも正直、辛かった。
しかし、どちらにしても辛いなら笑ったほうがまだマシかな。

こんな想いを抱えながら、残された人は今日も普通に生きる。
それにしても、たかじんさんがいたら今、なんて言うだろう?
なんて考えながら、みんな発言しているように見えました。

見ているうちに、たかじんさんはまだ死んでいない気がした。
そう、親しい人たちやファンの間ではまだ生きているのです。
それを確認した先週末でした。

たかじんさんの人気番組は、東京では放映されていませんでした。
強烈なアンチ東京精神があり、それが関西人に支持されていた。
そんな事情があるので、訃報への感受性には個人差があるかも。

死んでも生きていると感じた人の話を、もうひとり。

金子哲夫さんは、平成24年10月2日に
肺カルチノイドで41歳の若さでこの世を去りました。
拙書「平穏死10の条件」を読みながら、自宅で旅立ったと。

その1年後、平成25年10月3日に「2013 金子哲夫を
語る会」が都内のホテルで盛大に開催されました。
金子さんと面識が無かった私も、その場に呼んで頂きました。

「偲ぶ会」では無く、「語る会」です。
金子氏はまだ生きているので彼をダシにして語るのです。
友人や知人など参加者全員が生きているものとして会話。

楽しかった。偲ぶ会はしんみりしていますが、
語る会は、文字どおりみんな金子哲夫さんが
生きているものとして明るくはしゃぐ会。

奥さまの稚子さんの挨拶も良かった。
「哲夫は最近、仕事が特に忙しくなり、皆様のもとにも
 お邪魔して、ご迷惑をおかけしていると思います」と。

たしかに私のところにも哲夫さんが来て、私は東京に来ている。
亡くなってから1年経って、私にも大きな影響を及ぼしています。
参加者は奥さまに「御主人によろしくお伝えください」と帰る。

そう、金子さんはこんな自分の死後もプロデュースしていたのです。
死の周辺だけではなく、1年後、3年後、10年後も
プロデュースできることを金子さんは身をもって教えてくれました。

エンデイングノートは要らない!

なぜなら、死はエンドではないから。
死んだ後も、死後のプロデュースをすれば生きることができる。
そんなことを金子哲夫さんは、偶然にも教えて頂きました。

芸能界は華やかなのでこれは特別な話、ではないと思います。
一般の方でも充分に実行可能な、死後のプロデュースです。
たかじんさんの詳細は知らないが、きっとプロデュースしたはず。

追って、たかじんさんらしいメッセージが聞こえてくるでしょう。
たかじんさんの生き方や言葉が多くの人の記憶に残っている限り、
たかじんさんは社会的には死んでいない、ということになります。