《1370》 ゲートボールと早期胃癌(下) [未分類]

◆ 母は家の下敷きになり亡くなりました

確か震災後2日目だったと記憶する。
ライフラインを失った被災地の真っ只中の病院に
勤務していた私は、野戦病院さながらに
溢れかえった患者さんの治療と、搬送を必要とする
重傷患者さんの選別(トリアージ)に追われていた。

交通事情が最悪の中、当初は数時間に1人の
割合でしか搬送が進まず、救急車の帰還を
首を長くして待つ状況だった。

クラッシュ症候群のため大学病院に搬送となった、
私が受け待ちのある中年女性の順番がやっときた。
病室に見送りに行くと、女性はお礼を述べられ、
こう続けられた。

「母は家の下敷きになり、亡くなりました。
 その節は大変お世話になりました」

私は一瞬、何のことかわからなかったが、
女性の顔を見ているうちに、
その女性がKさんの娘さんであるこに気付いた。

『Kさんが亡くなった』
極限状況の中、私の頭はさらに混乱し、
悲壮な気分に陥った。

『こんなことになるなら手術なんてせずに、
 好きなゲートボールを思いっきり続けてもらうべきだった。
 本当にすまないことをした』
と反射的に思った。

『そうだ。Kさんは胃癌よりゲートボールを確かに
 選択したのだ。だのにヘボ医者の理屈が
 その選択を変えてしまったのだ』

結果論だとわかっていても、
天国のKさんに、
申し訳ない気持ちが今も消えない。

◆ 早期発見は本当に幸福か

震災を体験した多くの人がうつになったり、
価値観が180度変わっただろうが、
私も今から考えると1年間くらいはうつ状態にあった。

Kさんのこともあり、
しばらくは内視鏡検査など
とてもする気になれなかった。

震災後、縁あって尼崎の地で開業し、
4年半の月日がたつが、いつしか以前のように
積極的に内視鏡検査を行う日々に戻っている。
多くの早期がんを発見しては得意顔になりかけている。

「がんは、早期発見しても意味がない」と言う医者もいるが、
私自身はやはり早期に発見した方が、
がんとの対戦には有利であると考える。

しかし、いくらうまくがんと戦っても、Kさんのように
運命との戦いとなると、医師、いや人間の能力の及ぶところではない。

せっかく早期発見しても、手術後予期せぬ合併症に
見舞われ、早期発見がかえって裏目に出ることを、
Kさん以外にもこれまで何例か経験した。

だからがんの早期発見が、人間の幸福に絶対的に有利だとは言い切れない。
私も含めて医者は患者を見れば、すぐにがん検診を勧める傾向にあるが、
「受けるもよし、受けぬもよし」というスタンスが本当の医者だろう、
と最近は思う。

そして、医者はどちらの立場の患者さんにも、
医学的情報だけはできるだけわかりやすく
伝える義務があると考える。

Kさんごめんなさい

もし今、再びKさんのケースに遭遇すれば、
私はどう判断するのだろうか。

実のところまだ答えは見つかっていない。
やはり一度は手術の話はするだろう。

しかし、勤務医の時より患者さんの考えを聞き、
患者さん自身が納得できる結論になるよう、
もう少し努力するだろう。

実際、開業後もKさんと同じような状況で、
二者択一の選択を迫られることが時々ある。

いくら医学が発達しても、医療の現場においては、
このような選択に際し絶対的な正解はなく、
試行錯誤の連続だと思う。

1人ひとりの患者さんから得た教訓を生かせればと思っている。
Kさん、ごめんなさい。

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以上は「和」という当院の機関紙の
2000年1月号に書いた文章です。

私が初めて書いた「町医者冥利」という本の中の一節に、
この文章を載せました。
この本は絶版で、もう流通していません。
私の手元に何冊かあるだけで、あとはどこにも無いようです。

Kさんのことを忘れまいと、アピタルに転載させていただきました。
こうして書き写しておくことで、Kさんを偲ぶことができます。
早期胃がんというと、いまだにKさんのお顔が頭に浮かびます。