《1371》 阪神、そして東北 [未分類]

19年前のこの日、一瞬の揺れで多くの命が奪われました。
私は勤務医でしたが17日という1日は一生忘れないでしょう。
激しい揺れでたたき起こされてから、無我夢中の1日でした。

もし、あの日がなければ私は開業していなかったかも。
もし、あの日がなければ東北のことに関わらなかったかも。
もし、あの日がなければこれほど死にこだわらなかったかも。

今日はいろんな意味で、運命の1日です。

過去形で書いてしまいましたが、間違いです。
阪神大震災はまだ現在進行形、です。
ええ?いまだ続いている??

そう、まだ続いています。
大切な人を失い毎日のように泣いている人がいます。
復興住宅での孤独死は高齢化とあいまって減りません。

芦屋市では、人口の5%が亡くなったと記憶しています。
7割以上の人が、元住んでいた場所から離れたそうです。
今住んでいる人の半数以上は、震災後に移ってきた方と。

要するに、震災で街が入れ換わってしまったのです。
一見、新しく綺麗になったので昔を忘れてしまいそうです。
しかし、忘れてなるものか、と自分に言い聞かせています。

以上は、約20年経過した阪神間に住むオッサンの心象風景です。
阪神ですら、まだ終わっていません。
では、東北の20年後は、どうなっているのか・・・

阪神、そして東北。

昨年も書きましたが、阪神に学んでいないことが悔しいです。
JR福知山線には学んでも、阪神の教訓は活かされていない。
人災と天災の違いなのでしょうか。

今夜、当院で地域の医療職と介護職が集う勉強会があります。
「尼から連携の会」という会には、尼崎市長も参加されます。
今夜は、「認知症を地域で支える」という演題で私が話します。

19年前の震災時には、痴呆という言葉しかありませんでした。
認知症という言葉は阪神大震災から10年後に生まれた言葉。
たった約20年で街の姿も病気もすっかり様変わりしました。

認知症になったら施設か病院か、はたまた在宅か。
ひとくちにどれがいいとは言えないし、人それぞれでしょう。
どんな場所にいても、食と移動の自由があれば、それでいい。

そんな話をしていることでしょう。
日々、在宅と外来診療に明け暮れています。
ノロウイルスとインフルにくれぐれもご注意ください。