《1395》 おひとり死発見までの時間 [未分類]

私自身の死のイメージとして、おひとりさまの孤独死がある。
家族に囲まれて死ぬのが理想としても、そうなるとは限らない。
自分の人生は演出できても、最期をつくることはできません。

おひとりさまが亡くなった場合、発見されるまでの時間が問題。
その日のうちだと、それは平穏死です。
何日か時間がたつと、孤独死になります。

すなわち、「死」は「死」でしか無い。
それ以上でも、それ以下でも無い。
他人が、勝手に形容の言葉をつけています。

孤独死とは、発見までに時間がかかった死のことです。
それを可哀そうだと思うのは、第三者であり
本人はどう思っているのかは、誰も分かりません。

死はいつも一人です。
死に行く人を見ていて思うのは、“孤独”です。
愛する家族が沢山いても、本人は“孤独”の中で死んでいく。

だから“孤独死”という言葉は正直、私にはピンときません。
問題は、亡くなってから発見されるまでの時間ではないのか。
死ぬ時に誰もいなくても、誰かが早めに発見してくれればいい。

身内でなくても構いません。
ヘルパーさんでも訪問看護師でも民生委員でも、
隣のオッチャンでもいい。

おせっかい、という言葉があります。
おせっかいなオッチャンに発見されたおひとりさまもいました。
前夜に私が訪問した時は、ビールを飲みながら野球を見ていた。

末期がんでした。
でも、いいじゃないですか。
ビール飲んで好きな野球を観て、眠りながら逝けたのですから。

病院でスパゲッティ症候群になるよるずっとましです。
その時から、ずっと「おひとりさまの孤独死は悪くない」、
そう思っている医者はおかしいのでしょうか。

《PS》
上村愛子さんに感動しました。
よくやった、お疲れ様でした。
元気をいただきました。