《1418》 「一人で死にたい」 その気持ち [未分類]

世の中、いろいろです。
妻や子供や孫に囲まれて死にたいと願う人が多い一方、
「私は、一人で死にたい」と願う人も確実におられます。

「絶対に人に見せたくない」
「夫にだけは見せたくない」
なんてひとが本当におられます。

ウイークリーマンションに逃げ込んで、時々訪れる友人の
世話になりながら旅立たれた方もおられました。
残念ながらその後、トラブルに巻き込まれたようですが。

死は個人的な出来事です。
しかし同時に、社会的な出来事でもあります。
役所の戸籍にもちゃんと届けないといけません。

しかし「死の周辺」はパーソナルになる傾向があります。
身内だけで済ませる密葬や葬儀もしない「直葬」なども
その延長線上にあるのかもしれません。

日々、人の死に接していて、様々な死の形があると感じます。
「一人で死にたい」という人の気持ちにもより寄り添います。
たとえ沢山の友人知人がいても、そう願う人の気持ちを尊重する。

「孤独死」という言葉は、いつもネガティブに捉えらますが、
生きていても限りなく孤独な人はいくらでもいます。
死だけを切り取って頭に「孤独」とつけることに違和感がある。

そんな気がするのは、私だけでしょうか。
おひとりさまの時代の最期は、どんな形がいいのでしょうか?
もちろん、ひとそれぞれでしょう。

しかし元気な時から、少しずつ準備をしておいたほうがいい。
そして心から信頼できる家族や友人に託しておくべきでしょう。
おひとりさまの時代とは、そんなことを真剣に考える時代のこと。

《PS》
今日は(も?)、京都で平穏死の講演をしています。
もう新たな講演依頼の多くは、引き受けていません。
町医者としての仕事が、あまりにも忙しすぎるからです。