先日ある女性と話していたら、ドキッとする話が出た。
「私、一緒に死にましょう会をやっているの」
何?一緒に死にましょうって??
よく聞くと、ステージⅣのがん患者会の話でした。
彼女は、がん患者会の世話人をやっているらしく、
いつ死ぬか分からないから、と話されていました。
そういえば、昨年10月には、拙著「抗がん剤・10のやめどき」
の出版記念講演を聞きに来てくれたステージⅣの
胃がんの女性達の集団を思い出しました。
彼女たちは、若く、明るく、とっても前向きでした。
しかし先日お会いした女性は、初老ですが、さらに明るく、
前向きで、かつ死のことも一生懸命考えておられるようでした。
「一緒に死にましょう」と言いながら、あちこち食べ歩いたり
旅行に行ったりしているとのこと。
「ちっとも死にそうにないね」と冗談が言えるほどでした。
本当は、どんなに仲よしでも一緒に死ぬことはあり得ません。
まさか無理心中することもあり得ません。
いつ死んでも悔いがないように生きようという気概を感じた。
おひとりさまの末期がんも多くおられるのでしょう。
もし外出できなくなったら、助け合い、見守るのでしょう。
「仲間を孤独死させない」というメッセージに見えました。
地域やお隣さんという言葉が、都会では希薄になりました。
しかしこれからの時代、住み慣れた地域で最期まで暮らそうと
本気で願うならば、地域の仲間作りが必要だと思います。
でも上手に仲間が作れなかった、という人は訪問看護師や
ケアマネやヘルパーさんに仲間になってもらうといいでしょう。
介護スタッフは、まさに心強い仲間です。
考えてみれば、私たちは80年しか生きれない動物です。
宇宙の歴史から見れば、わずかな時間しか生きられない。
宇宙を1年にたとえたら人の寿命は1秒かそれ以下です。
そう考えたら、「一緒に死にましょう会」とは、私たちが
この世に生まれてきたことそのものを指している気がします。
家族がいようがいまいが、時が来たら朽ちて落ちて行く・・・
役所から「共助」や「互助」と聞いてもどこかピンときません。
しかし「一緒に死にましょう会」と聞いたら、ドキッとします。
しかし、よく考えたら、生きるとはそのようなことなのですね。
《PS》
今日の午後は、大阪の医師会に呼ばれて講演をします。
その後は、当院の弥生会という看取った方の家族の会。
その後は、大学時代の親友たちと飯を食べます。