《1464》 大病院ほど待てない [未分類]

昨日まで述べてきたことは主に病院のことです。
私が診ている在宅現場では、待てる場合が多い。
しかし、ご家族や親せきなどが待てないこともあります。

病院がなぜ待てないのかというと、何かやったほうが、
後になって過失を問われる可能性が低いと考えるから。
何かしら処置をしておけば、その可能性が薄まります。

病院では人の目が多いことがあります。
在宅医療は、いわば密室での医療ですが、
病院医療ではいろんな人の目があります。

換言すれば、いろんな価値観があるということです。
待つことを知っている場合と知らない場合が混在し、
あとで内部告発のようなトラブルになる懸念もあります。

「待ったほう」が得だと分かっていても実際に
そうできない力が働くのが、病院という「場」の力です。
大きな病院になればなるほどそうした傾向が強くなります。

しかし、トップの一声で空気がガラっと変わる場合がある。

「うちの病院では老衰などの最終段階で本人や家族が
 自然な形を望まれるならばちゃんと尊重しますよ」
と病院長が公言されるところも少しずつ出てきました。

先日出た「平穏死できる人、できない人」(PHP)という
拙書の中にも書きましたが、その病院の考え方にもよります。
タイトルに「平穏死」という言葉が入る本として5冊目です。

少しでも平穏死について知って欲しいと願い、書いています。
その心は、終末期に「待つこと」ができるかどうかだけです。
クチコミ等で「待つこと」ができるかどうかを調べて下さい。