この2週間で、数人の在宅患者の看取りに立ち会いました。
みなさん1本の管もなく、綺麗な体で旅立たれました。
不思議なくらい穏やかな最期が続いています。
今月は、若手のドクターとずっと一緒に回っています。
2週間ぐらい一緒に回ってやっと理解してもらえるのが
「平穏死」だと思います。
ある医師から「平穏死のエビデンスを」と問われました。
そう聞かれると、とても困ってしまいます。
日常の全てがエビデンスといっても、通用しません。
さて病院では「平穏死」しにくい理由を書きました。
病院には医者がいるから「待てない」のでしょうか。
では医者がいなければ、「待つこと」ができるのか?
それは看守る人の素質によります。
待てる人と、待てない人がいます。
介護施設ではどうでしょうか?
結論から申せば、施設ではもっと待てません。
最期は救急車で病院送りという施設が多い。
先日、統計調査の生データでもそうでした。
「待つ」ということが、今、施設に一番必要なもの。
しかしスタッフは書類の整理や会議に追いまくられる。
なんだか、医療の悪い所ばかり真似しているようです。
多くの病院は「待てない」のですが、施設はもっともっと
「待てない」のが現実です。
本来、施設とはしっかり「待つ」ところのはずなのですが。
大往生と聞き、駆けつけてみたら、AEDをつけながら
心臓マッサージを1時間もやっていた施設がありました。
その施設では、10年近く、看取りの経験はゼロでした。
何もしないで「待つ」ということは、本当に難しい。
介護は20~30年前の医療を追いかけているよう。
大往生にICUのような管理を行う施設もあります。
施設にこそ、「平穏死」を学んで欲しいのですが……
医療の悪いところを追いかけて欲しくないと願います。