《1466》 管1本無い穏やかな最期を迎えるために [未分類]

介護施設での看取りが大きな国家的課題になっています。
「看取り講座」なるものが全国各地で開催されています。
私自身も、何度も講師を務めてきました。

つきつめれば、最大のポイントは「待つ」ことができるか。
でも、一度も「死」を見たことが無い介護職員は待てない。
最期になって待てず、救急車を呼ぶ介護施設が大半です。

一度も看取たことが無い介護施設が沢山あります。
一度は看取ったことがあっても、その割合が少ない施設も多数。
「ほとんど看取っている」という介護施設は少数です。

先日も、「胃ろうを入れないと退所」と言われ、本当に
追い出された方が、東京から尼崎まで30万円もかけて
ご家族が移送し、私が診て、しばらくして旅立たれました。

介護施設で老衰になれば、そこは「終の住処」のはずです。
しかし現実には、そうではない施設が大半なのが現実です。
介護職員のみならず、嘱託医の熱意にも原因があります。

「待つ」ことで、穏やかな最期がある。

たったこれだけのことなのですが、現実は厳しいです。
そのあたりのことを書いたのが、近著「ばあちゃん、
介護施設を間違えたらもっとボケるで!」なのです。

お陰さまで発売2カ月で7刷り、5万部を突破しました。
正直、こんなに大きな反響があるとは・・・
介護関係の書籍としては、異例のことだそうです。

それだけ「待てない」時代なのだと思います。

この2日間で、5人の在宅患者さんを看取りました。
全員、管1本無い穏やかな最期。
家族も、笑顔、で私を迎えて頂きました。

末期がん、認知症、老衰など病気も様々。
年代も40代から90代まで様々です。
夜間早朝、深夜の看取りで、ほとんど寝ていません。

本人・家族全員が、自宅に居ることを選ばれました。
全員、亡くなる直前まで何かしら食べていました。
家族全員が「待つ」ことができたので平穏死が叶いました。

そんな当たり前の日常が、介護施設では大事件になります。
同じ人間の最期でも場によってまったく違うのが現実です。
多くの方に「平穏死」のキモを知って欲しいと願います。