昨夜は遅くまで、歓送迎会で騒いでいました。
この春に、数人のスタッフが入職されました。
毎日、毎日、手取り足取り必死で教えています。
特に病院から在宅に来た人には、徹底的に
「待つ」という緩和ケアを教え込みます。
それでも「待つ」ことができるようになるのは難しい。
「待たない」ことには慣れていますが、「待つ」のは初体験。
「待つ」ことの効用を体得してもらうために、かなり状態が
悪いまま家に帰ってきた人の経過をしっかり見てもらう。
「待つ」ことで状態が明らかに変わり笑顔が出るのを実感。
医師、看護師、ケアマネ、事務全員に「待つ」ことを教育。
そんなこんなで、4月も忙しく過ぎ去ろうとしています。
病院と在宅の違い、
施設と在宅の違い、を書いてきました。
今日は、家族について書いてみます。
いくら医師、看護師、ケアマネ、ヘルパーが「待つ」ことを
知っていても、最後の砦は、ご家族さんです。
この「ご家族さん」こそが日本の医療の最大の課題です。
「待つ」ことの効用をかなり時間をかけて説明しますが、
理解してくれる家族と、理解してくれない家族がいます。
そして家族の中でも、理解度はさまざまです。
最も困るのは、遠くの長男、遠くの長女です。
あるいは遠くの親戚です。
普段、一緒に暮らしていないで、たまに来る身内です。
彼らには、「待つ」ことを教えることなく、来られます。
一生懸命、教えてもそれまでの経過を見ていないので
「待つ」ことの効用を理解できません。
そしてたった1人の「有力者」の一言で療養方針が
一気に変わってしまうことが時々、あります。
救急車を呼び、入院です。
入院して前途が少しでも期待できるなら価値があるでしょう。
しかし、未来が無いのであれば、意味がありません。
現状を受け止められない心情が、救急車要請へと走らせます。
家族の意見は、本人の意思を遥かに凌ぎます。なぜなら
本人は弱っていて、もはや強い意思表示はできないのです。
リビングウイルを持っている日本人は、たった0.1%です。
そうして最期は、声の大きい遠くの長男長女が決定している。
これが日本の終末期医療における意思決定の現実です。
欧米では、到底考えられません。
人生の最終段階の医療内容を誰が決定しているのか?
施設や病院での調査結果を見て驚きました。
本人が決めたというケースは、僅か数%以下。
3分の2は家族、3分の1は医者が決めていました。
それで患者さんや家族が満足ならそれでいいのです。
しかし多くは、後悔や心残りに苦しむことになります。
だからこそ、“リビングウイル”なのですが。
(「待つ」という緩和ケアシリーズ 続く)