“リビングウイル”の日本語訳は定まっていません。
生前の遺言とか、終末期医療に関する意思表示など
いろんなことが言われていますが、しっくりきません。
最近、「いのちの遺言状」という言葉が気に入っています。
「遺言状」といえば、死んだ後に効力が発揮しますが、
「いのちの遺言状」は、死ぬ前までの医療への要望書。
世の中には、2つの遺言状があります。
ひとつは、「お金の遺言状」(通常の遺言状)。
そして、もうひとつは「いのちの遺言状」です。
前者は、死んでから。
後者は、生きているうち。
どちらも「状」であるので、文章として作成されるもの。
人間は、必ず死にますから、2つの遺言状を作成しておいて
悪いことは何もないと思います。
2つの遺言状は、15歳から作成できます。
自己決定できる年齢が15歳以上であるという考えです。
実際10代で「いのちの遺言状」を持っている方もいます。
どういう経緯かは知りませんが私どもはそれを管理しています。
さて「お金の遺言状」と「いのちの遺言状」の決定的な違いは何か。。
「お金の遺言状」は法的に保障されていますが、
「いのちの遺言状」は、法的に保障されていない点です。
だから「遠くの長男」の一言で、もっとも大切な人生の最終段階に
おける医療方針が決定されているというのが、日本の現実です。
もちろんそんな国は、世界中見渡して、日本だけです。
「いのちの遺言状」を法的に「有効」と認めましょうというのが
「終末期の医療における患者の意思を尊重する法律案」です。
超党派の議員さん130人位が議論を始めて9年目に入りました。
しかし肝心の議論の中身は、9年間、まったく停滞したまま。
同じ議論が繰り返されるばかりで、堂々巡りから脱せません。
私自身も一連の議論の中にいる一人ですが、もどかしいです。
ちなみに先進国の中で、「いのちの遺言状」が
法的に「有効」でないなんて国は、日本国だけです。
まず、多くの方にそんな単純な事実から知って欲しいです。
「待つ」ということは、「いのちの遺言状」が
法的に有効であってこそ、可能になります。
遠くの長男の意見より本人の意思が優先するようになるのです。
待ってもらうには、、元気なうちに「いのちの遺言状」を
書いておくことと、それが法的に有効であると国家が認めること。
この2つの条件が揃えば、病院や施設でも「待つ」ことができる。
在宅医療では、こうした手続きがなくても穏やかな最期が可能。
多くは「阿吽の呼吸」というか、強い信頼関係があるからです。
そうした場合はこのような手続きが無くても、全く構いません。
しかし8割の人が病院で最期を迎えている現在、こうした法案は
極論すれば、病院や施設のためのものと言ってもいいでしょう。
「阿吽の看とり」はそのままでいい、とちゃんと書かれています。
たったそれだけの議論なのですが、報道で
大きく歪められた結果が、現状なのです。
来月、国会で再びこうした議論が行われる予定です。
以上のようなことを知った上で、議論を見守ってください。
そろそろ、9年間のこう着状態を抜け出す時だと思います。
「お金の遺言状」と、「いのちの遺言状」。
あなたにとって、どちらが大切ですか?
(「待つ」という緩和ケアシリーズ 続く)