《1472》 ご近所さんは待てるのか? [未分類]

先週は、在宅看とりがたくさんありました。
看とりになりそうな夜は、酒を飲みません。
それがちょうどいい節制になっています。

さて、家族と医療職と介護職が「待つ」ことができても、
ご近所さんが「待てない」ことが稀にあります。
医者が到着する前に隣のおばちゃんが救急車を呼ぶ場合。

おばちゃんは、「看取り=警察だ」と思いこんでいます。
そうならないように救急車を呼ぶことが「善」だと思っている。
あるいは最期もいろんな処置をしないといけないと思っている。

人は思い込みで動きます。
「在宅死=警察」という都市伝説は簡単には払拭できません。
医師法20条を説いていくら全国行脚しても焼け石に水です。

遠くの長男、長女はしっかりマークできたとしても
お隣のおばちゃんがノーマーク、なんてことがあり得ます。
全員が「待つ」というのは時にそれほど難しいことになる。

それは日本全体がそのような空気になっているからかも。
 待たないこと=美徳
 待つこと=悪徳
のような価値観がどこかにあるような気がします。

待てない隣人は、善意の人です。
救急車を呼んであげるのは、一般的には善行です。
そこに、「待つ」ことの難しさがあります。

さらにそこに駆けつけた救急隊員も善意の人です。
そして善意で「看取り搬送」をしてくれています。
しかし受ける病院の救急医には、負担になります。

善意の積み重ねなのですが、どこかで誰かに皺よせが来る。
それが勤務医の疲弊なのですが、多くの市民は知りません。
コンビニ受診、多重受診も同じような構造かもしれません。

(「待つ」という緩和ケアシリーズ 続く)