人生の最終段階は自分らしくありたい。
芸能人の最期の報道を見るたびに誰もがそう願います。
しかし現実には、本人が望む旅立ちは難しいのが現実。
「待つ」という緩和ケアを実践していくためには、
医療と介護の連携だけでは難しいように感じます。
救急、警察、さらには葬儀屋との連携が必須です。
葬儀屋さんとて、医者の到着を待ってくれる業者と
待ってくれない業者の2とおりに完全に分かれます。
昔は私より早く葬儀屋さんが来たことが多かったが。
最近は、医者がすぐに来ないのなら救急車を呼びなさい
というアドバイスをした葬儀屋さんがいました。
「看取り搬送」になりました。
結局。医療も介護も救急も警察も葬儀屋さんも
みんな繋がっているのです。
そして、家族もお隣さんも民生委員さんも同様です。
これからは社会全体が看とりに目覚めないといけない。
「死」を病院から地域に取り戻すと考えたほうがいい。
それこそが人間復興、ルネッサンスであると思います。
しなわち「本人が満足、納得する最期」は場所を問いません。
病院でも施設でも在宅でも、はたまた「お泊まりデイ」でも
本人が満足できる最期が叶わないと、おかしいはずです。
できれば自分の意思を文章という形に変換してで残すこと。
リビングウイル(LW いのちの遺言状)は、その第一歩。
終の信託をちゃんと文章で残し、保難しておくことが大切。
日本尊厳死協会では2000円で、表明したリビングウイルの
原本を厳重に管理しています。
時々、病院からその人のリビングウイルの問い合わせがあります。
しかし日本のLW保有率はたった0.1%に過ぎません。
「LWが無くても家族がいるから」という人が多いです。
あるいは、「そんなこと考えたくない」という人も多い。
しかしイザその時になれば、本人の願いとは真逆に進む
ことをこれまで何度も何度も経験しました。
できればもう少し、多くの人がLWに興味を持つべきです。
そしてLWを尊重して「待った」ほうが長生きできるだけ
でなく苦痛が少ないことをもっと多くの人に知って欲しい。
そんな想いで、こ平穏死の本を5冊も書いてきました。
「平穏死できる人、できない人」(PHP研究所)という
近著には、「順調先生」という話が出てきます。
「待つ」ことを知っていることを知っているドクターでした。
先日、和歌山県の白浜に講演に行った時に30年前に私を
教えて頂いた先輩医師と偶然、田辺駅で出会いました。
順調先生の近況を伺ったら「旅立たれた」と聞き驚きました。
しかし順調先生の教えはこの本の中でしっかり生きています。
「私は待てないわ」という方こそ、この本を読んで下さい。
平穏死の本5冊に、私の30年間の経験をすべて書きました。
これから社会は大きく動きます。
超高齢社会の波はどんどん大きくなります。
「待つ」という緩和ケアの時代が、すぐそこに来ています。
(「待つ」という緩和ケアシリーズ 続く)