先週末は、静岡市と松山市で平穏死の講演をしていました。
最近は、お医者さんと介護職や市民が「まじくった」勉強会
が多くなってきましたが、とてもいい傾向だと思いました。
講演後、ある知人と会いました。
長時間、認知症ケアについて話しこんでしまいました。
なんだかおかしいな、と思うことで盛り上がりました。
最近「個別化医療」という言葉をよく耳にします。
オーダメイド医療、テーラーメイド医療も同じことです。
そもそも、医療は個別的だったはずなのですが・・・
それだけ、画一的、マニュアル的になっているのでしょう。
医者も患者も気がつかないうちにどんどん変わっています。
そして介護の世界も、そうなっているような気がします。
今日からできる個別化医療は何か?と聞かれたら私は
とっさに「認知症ケア」が思い浮かびます。
認知症400万人と予備軍460万人、の合計860万人。
介護の世界では認知症のことを「ニンチ、ニンチ」と呼びます。
しかし「ニンチが進んだ」とはなんとも不思議な言葉ですね。
「認知が進む=改善した」ではないのですから。
また、「認知症=アルツハイマー型認知症」ではもちろんありません。
レビー小体型認知症も前頭側頭型認知症(ピック病)も、
脳血管性認知症も含めての「認知症」のはず、です。
しかし面倒くさいので介護意見書に「アルツハイマー型」と
書かずに、ただ「認知症」と書いてしまいがちです。
家族にもそう説明することが増えました。
考えてみれば、「認知症」というのは、実に曖昧な病名です。
「首から上の病気」あるいは「脳ミソの病気」と同じ程度です。
ひと口に「胸の病気」と言っても、肺、心臓、乳房などいろいろ。
これと同じく、「お腹の病気」と言っても、胃、大腸、膵臓、
肝臓、腎臓病など実にいろいろな病気を含んでいます。
いろんな病気を包含していることを考えれば大雑把さは明らか。
しかしそんな曖昧な病名を、さも分かったかのような烙印として
患者さんに押しては抗認知症薬を飲ませるのが
認知症医療ではもちろんあません。
しかし、社会全体も知らず知らずのうちに、そうなりがちです。
要介護判定においては調査員によるニンチの程度の評価が重要です。
しかしそれは、認知症を評価する能力が同じであるという仮定が前提。
そもそも認知症の本質とは「関係性の障害」ですから、
もし10人の調査員が居れば、10通りの判定能力があるうえに、
10通りの「関係性」も存在することを忘れてはいけません。
すなわち100通りのバラツキがあろうものを、
たったひとつしかないという前提のもとに
介護判定が行われていることが不思議だね、なんて話になりました。
実は認知症医療に対しても同じ様な大きな疑問があります。
ですから、がんや生活習慣病の前に、認知症ケアにこそ
「個別化」という視点が必要な気がしてなりません。
しかも、これには難しい機械もお金も不要です。
《PS》
今日は、記念すべき第1500回です。
気がついたら4年経ちましたが早いものです。
読んで頂いている皆様に、感謝申し上げます。
51歳だったのが、55歳になりました。
この連載がいつまで続くのか、私も分りませんが、
もうしばらく、お付き合いください。