→ (その3)から続く
2020年、東京オリンピックが終わったあとの高校の同窓会で、同級生の田中君(仮名)の話をみんなで聴いている。
田中君のお父さんは、寝たきりで全介助なので要介護「松」と判定されていた。認知症の奥さんの介護をしているうちに持病の高血圧が悪化したのか、脳梗塞を発症して入院。退院後、リハビリを頑張ったものの、歩けるまでに至っていない。意思疎通は何とかできるが、認知機能はあまり改善せず、在宅主治医から脳血管性認知症と診断された。感情失禁や軽いうつ傾向になることがある。
脳梗塞の後遺症としての嚥下障害には現在も悩まされている。これまで誤嚥性肺炎での入退院を2回繰り返した。そして昨年、ついに胃ろうを造設したという。胃ろう栄養になってからは床づれがみるみる改善し、デイサービスに出られるようになったそうだ。現在では、以前の半分程度であるが再び口から食べられるまでに改善していた。
◇ ◇
2012年当時、日本の胃ろう患者さんは40万人に達していた。そこで胃ろうの功罪が多くのメディアで取りあげられた結果、多くの市民は『胃ろう=悪』と理解してしまった。
そのため、経鼻胃管による経管栄養が増えるという皮肉な現象がおきた。そもそも、経鼻胃管による経管栄養が大変辛いので胃ろうが開発され、普及したのだが……。マスコミの不十分な報道により逆戻りするという、大変困った事態に陥っていた。
しかしそんななか、ある町医者が書いた「胃ろうという選択、しない選択」という本を読んだ患者や家族たちが、「ハッピーな胃ろう」を医師に迫るなどして世間の空気は少しずつ変わったそうだ。かくして2015年あたりから再び、経鼻栄養から胃ろう栄養に回帰することになった。ただ、胃ろう患者の総数自体は2012年から減少に転じ、2020年には20万人まで減少していた。
「胃ろうがあったら食べてはいけない」という都市伝説についても、市民の間で徐々に誤解だと認識されるようになり、「胃ろうがあっても少しでも口から食べたほうが認知機能の改善にはプラス」という理解が浸透していった。
2014年当時、全国にたった2万人しかいなかった嚥下リハビリの専門職である言語聴覚士(ST)は、2020年には20万人にも増加していた。というのも、理学療法士(PT)と作業療法士(OT)と言語聴覚士(ST)のリハビリ3職種は、2019年から「総合リハビリ士」に統合されたからだ。
総合リハビリ士は、訪問栄養士とともに地域の「食支援活動」の中心を担っていた。胃ろうを造設されていても、歯科医師や耳鼻科医が嚥下内視鏡(VF)などによる摂食嚥下の可能性があると判断したら、在宅患者さんにおいても積極的に嚥下リハビリが行われるようになった。
「もし食べさせて誤嚥性肺炎を起こし、家族に訴えられたらどうするんだ。そんな調子のいいことを言うべきではない」という声もたしかに多かった。しかし、2016年の「誤嚥性肺炎裁判」の最高裁判決により、世の中の空気がガラっと変わった。誤嚥性肺炎で亡くなった患者の家族が特養管理者を訴えた裁判で、「誤嚥性肺炎による死亡は管理者の責任ではない」という判決が出たのだ。
当時、介護施設で誤嚥性肺炎裁判が頻発したため、施設入所者の食が細くなった場合にもし胃ろうを拒否すれば、施設を追い出されるということがよくあった。守りの医療ならぬ守りの介護が普通だったのだ。しかしその最高裁判決を機に、「食べられる可能性があるのに食べさせないことのほうが罪深い」という空気に徐々に変わってきたのだ。
胃ろう造設の『適応基準』も厳しくなった。ALSなどの神経難病や脳梗塞は推奨された一方、アルツハイマー型認知症や老衰にはあまり推奨されないという、欧米と似た勧告が日本の医学会からも出始めた。「アルツハイマー型認知症は、誤嚥性肺炎さえ恐れなければ最期まで食べられる力がある。食べられるのに食べさせないことは人権の侵害にあたる」という趣旨の発信が、介護施設の団体からもたくさんなされた影響も大きかった。
- 人間は誤嚥しながら生きるもの
- 誤嚥と誤嚥性肺炎を区別しよう
- 誤嚥性肺炎は、口腔ケアと嚥下リハビリで予防できる
- 誤嚥性肺炎を治すのは、最終的には本人の体力、免疫力
といった知識は、小学校の「健康の授業」のなかでの歯と口の健康として教えられるようになった。さらに胃ろうを造設する病院には「胃ろう適応委員会」の設置が義務付けられ、そこでの審査を経ないと胃ろうが造設できない仕組みになっていた。
◇ ◇
さて、田中君のお父さんは、脳梗塞による嚥下障害のため「適応あり」と判定され、胃ろうが造設された。造設された翌日から、総合リハビリ士による嚥下リハビリと口腔ケアが開始された。その結果、半年後には『半分口から、半分胃ろうから』という状態まで回復していた。
東京オリンピックを観戦に行った時も、ホテルの食事を十分楽しめたという。お父さんの胃ろうは、文字どおり「ハッピーな胃ろう」なのだ。
現在、20万人の胃ろう患者さんの大半が「ハッピーな胃ろう」かと推定された。しかし、もはや意思疎通ができない、自分の唾液さえも誤嚥してしまう、といった「アンハッピーな胃ろう」の人も、少数だが存在した。
しかし、日本老年医学会の「終末期ガイドライン」などが市民にも浸透するようになり、「アンハッピーな胃ろう」の場合には栄養剤の量を漸減して穏やかな最期を迎える(平穏死)という空気が、大病院のスタッフにもかなり広がっていた。2014年以降、胃ろうの中止を巡る裁判事例は一例も報告されていなかった。
田中君のお父さんの胃ろう栄養は、プリンのような形状の「半固形化栄養剤」だった。昔は胃ろうの栄養剤といえばポタポタ落ちる液体がほとんどだった。しかし液体だと逆流性食道炎や下痢などの合併症が結構あった。
保険適応がある半固形化栄養剤が発売されたのが2014年。それから6年経って、半固形化剤が広く全国各地域にも浸透していった。それまで1回2時間近くかかっていた注入時間は、半固形化剤によりわずか10分に短縮された。その結果、介護者の負担が大幅に改善され、その分をリハビリにあてることが出来るようになった。
さらに研修を受けたホームヘルパーには栄養剤の注入が許可されていた。これは、独居の胃ろう患者さんにとっても福音となっていた。
田中君のお父さんの夕方の胃ろう注入は、週6回のホームヘルパーが行っていた。ヘルパーは、まず美味しい食事を食べさせて、足りない分を胃ろうから注入した。その配分は、ヘルパーの裁量とされた。さらに毎月、自宅で開催されるケア会議では、栄養士、看護師、医師を含む多職種による在宅NST(栄養サポートチーム)が、栄養不足に陥っていないかチェックしていた。
そうはいっても、体調には必ず波がある。認知機能も嚥下機能も急にガクンと落ちる日がある。そんな時は、在宅主治医にお願いして訪問看護師さんに「グルタチオン1400mg」を15分で点滴してもらう。これは脳の血流を改善して活気を取り戻すためだ。
グルタチオンは40年以上昔からある安い薬だそうで、コウノメソッドの推奨メニューになっている。するとすぐに、シャンとして元気を取り戻すそうだ。効果は1~2週間持続することもあった。適切な介護だけで限界を感じた時は、介護職もコウノメッソッドの一般書を読んで勉強していた。
田中君は在宅主治医に、まるで食堂で食べ物を注文するように『望む効果』をオーダーしていた。
「でないと、主治医も親父のような要介護「松」の在宅患者に、何をしていのかサッパリ分らないだろうから。親父が見違えるように元気になり、毎日笑顔があるのも、在宅療養ができるのもコウノメソッドのお陰だよ」
静かにそう語った。
お母さんと同様、お父さんも毎日3時間のショート・デイケアを受けていた。お母さんと一緒に、月2回くらい2泊3日のショートステイにも行った。訪問リハビリが週3回来てくれて、関節が動きにくくなる「拘縮」を予防してくれる。以上のプランは、要介護「松」用に作られた定型プランのひとつだった。
普段の外出や外食は、NPO法人「まじくる」の「おでかけ隊」が1回500円で請け負ってくれるのでとても助かっているそうだ。たとえ要介護「松」であっても、食べられる、移動できることに驚いた。というのも、2014年当時の『要介護5』ではそのような人は非常に稀だったからだ。
これだけのサービスが受けられるとはいえ、自己負担額(2割負担)の月6万円は少し高い気もするが、ポッキリ料金なので安心だ、と田中君は笑っていた。
「やはり多少なりとも口から食べているから、親父の認知症は進まないような気がするんだ。進むどころか年々改善しているんだ。認知症は治らないって聞いていたけど、親父は間違いなく治ってきているんだ」という田中君の感想を、一同黙って聞いていた。
「そう。胃ろうがあっても食べられるし、脳血管性認知症でも治るんだ!」と僕は心の中で呟いた。
(続く)
PS)
広島の土砂災害の報道に胸を痛めています。被害に遭われたみなさまに心から哀悼の意を表します。また避難所で恐怖に震えている方の心中を察すると言葉が見つかりません。
まだ予断を許さない状況のようですが、情報に耳を傾け注意してください。今我々にできることがあれば教えてください。また全国のみなさま、それぞれの地域の防災意識を高めましょう。