→ (その9)から続く
2020年末、我が国では増え続ける認知症に関する大きな改革が断行されていた。
前年、超党派の議員連盟によって「認知症対策基本法」が議員立法として衆参両院で可決された。2006年に成立した「がん対策基本法」は、自らががんに冒された山本孝史議員の国会演説により一気に前進したが、認知症対策基本法も、自らが若年性認知症と診断された50歳代の女性議員の国会演説が多くの議員の心を動かし、成立に至った。
認知症対策基本法の基本精神は「認知症になっても住み慣れた地域で最期まで生活する」こととされ、すでに地域包括ケアの目玉になっていた。余談だが、地域包括ケアは略して「ちほう(地包)ケア」と呼ぶようになっていた。
がん対策基本法ともっとも異なる点は、拠点病院を定めないことだった。「認知症ケアは地域での生活にある!」という理念から、まず「拠点診療所」が整備された。認知症専門病院は「拠点機関ではなく支援機関である」という位置づけとなり、CTやMRIなどの画像診断や心理テストなど高い専門性を要求される検査にほぼ特化していた。
認知症拠点診療所には、2つの機能が科せられた。ひとつは、認知症の診断と治療、もうひとつは認知症の在宅医療だった。2020年の在宅医療の対象は、自宅以外に介護施設や老人ホームやサービス付き高齢者向け住宅も含まれる広義の「在宅」だった。生活支援を重視することから、新たに「生活支援医療」という言葉も生まれていた。
認知症の診断と治療には、コウノメソッドの理念が大幅に採用されていた。2020年には、認知症は病名ではなく各種スコアで表現されるようになっていた。「MMSE」「アルツスコア」「ピックスコア」「レビースコア」が点数化され、チャート図にプロットするという作業が行われ、それ自体が「診断」とみなされた。
加えて家族や介護者の希望するオーダーシートに合わせて、各種の薬剤がコウノメソッド方式で使われていた。オーダーシートとは「幻視を少なくして欲しい」とか「もっと元気を出させて欲しい」という介護者の具体的な希望だった。裏を返せば、家族から特に希望が無ければ、薬物介入は極力避けていた。
4大認知症の理解は、ドクター・コウノによって完全に塗り替えられていた。画像診断と病名が一致しないことは当然と認識され、病名・病態志向ではなく、生活支援志向に変わっていた。
認知症医療の分野では、抗認知症薬のさじ加減などで「個別化医療」がさらに進んでいた。コウノメソッドの認定医たちは「中枢神経系総合医」と呼ばれる専門医となり、認知症は彼らが診るという機運が高まっていた。
余談であるが、町医者についても「中枢神経系総合医」「非中枢神経系総合医」と分けて呼ぼうという提案が、老年医学の世界で真剣に議論されていた。超高齢化社会に特化した専門性が、ドクターコウノらの活動が契機になって再編されようとしていたのだ。
4種類の抗認知症薬は、2020年にも使われていた。脳内の神経伝達物質を増やす薬理作用自体は間違いなく存在するのだが、最大の課題は容量設定だった。1でいいのか、10がいいのか、100がいいのか。ほとんど区別されることなく、強制的に3→5→10と増量するような従来のやり方は、コウノメソッド認定医などで構成される「認知症治療学会」の勧告により、大幅に是正されていた。
薬剤感受性の個人差が大きいことが広く認められるとともに、容量設定に関する医師の裁量も認められた。現実には、抗認知症薬の容量設定は、ケア会議などで家族を含めた多職種での話し合いのなかで決定されていた。
2020年には、がんの治療も大きく変化していた。がん細胞をピンポイント攻撃する分子標的薬は、2014年当時の3倍にあたる約60種類が認可されていた。ただし、遺伝子診断による事前予測と十分なインフォームドコンセントが義務付けられていた。
Her2陽性のがんだけにハーセプチン投与が認められ、EGFR陽性のがんだけにイレッサ投与が認められるといった具合に、分子標的薬の効果が血液の遺伝子検査で事前にある程度予測可能になる、従来より精度が格段に高い抗がん剤治療が模索されていた。
実は、これと同様な考え方が抗認知症薬にも行われようとしていた。
約2万5千ある遺伝子のうち、認知症に関与する遺伝子が100個以上同定されていた。どういった遺伝子が、レビー気質やピック気質と関係しているのか、少しずつだが解明されつつあった。
若年性認知症は、特定の認知症関連遺伝子の異常で説明されようとしていた。ただ、特定の遺伝子異常といっても10以上の候補があがっているため、今も世界中で研究が続けられている。薬剤感受性と遺伝子多型の関係も徐々に明らかにされていた。
こうした臨床研究は、遺伝薬理学と呼ばれる領域にまとめられた。2014年当時は抗がん剤がよく研究されていたが、2020年には、抗認知症薬の領域でより多くの研究成果が発表されていた。いくつかの医師主導型の臨床研究が全国で始まっていた。2015年に騒ぎになった製薬会社と大学病院の癒着問題の解決には実に4年もの年月を要し、ようやく綱紀粛正がなされた時だった。
◇ ◇
さて、田中君(仮名)のお母さんは、血液の遺伝子検査によっていくつかのことが判明していた。
- 若年性認知症の遺伝子が6つ以上陽性だった (通常は3つ以下)
- アリセプトに対する感受性が高い遺伝子を10個以上持っていた (通常は3つ以下)
田中君のお母さんは、アリセプトが少量でも効き易い体質であることが判明した。2004年頃からアリセプトを飲んできたので、もう16年になる。発症から16年経ってもまだ意思表示ができているのは、在宅療養に加えてアリセプトをはじめとする良い認知症医療のお陰もあるのだろう。
一時的に10mgに増量されたこともあったが、大部分の期間は5mgで飲んできて、それなりの効果はあったと感じてると田中君はいう。しかし2018年頃よりよく怒るようになり、在宅主治医の判断でアリセプトを3mgに減量した。すると機嫌が収まり、再び笑顔が増えていた。
こうした経過は、2020年に行った遺伝子検査の結果と合致していたため、田中君は得心していた。現在は、アリセプトのゼリータイプ3mgを飲んでいるが、田中君はそろそろ「やめどき」を考えているという。
2013年に出版された町医者が書いた本「抗がん剤・10のやめどき」は、その続編として「抗認知症薬・10のやめどき」が2018年に出版されていた。それを読んで以来、いつかその日が来るだろうとずっと思いながら今日まで来たという。
「それにしても凄い時代になったもんだ。たった1回の採血で母親の認知症遺伝子もアリセプトの感受性もだいたい分かってしまうやなんて。2014年当時は、そんなことも分からずに、猫も杓子も抗認知症薬をフルドーズ目指して投与していたんやから、今考えてみればずいぶん恐ろしい医療が行われていたもんや。
お袋も一歩間違えたら、薬の副作用で大暴れして精神科病院で入院になっていたかもしれんな。それにしても、当時ドクターコウノがベストセラーで叫んでいたことってヤッパ本当やったんよ……」
田中君は、ため息をついた。
「でも待てよ。お袋が認知症関連の遺伝子を普通の人よりたくさん持っているということは、息子の俺はいったいどうなっているんや……!?」
田中君には、別の疑問が生まれていた。
(続く)