オランダでは安楽死を選択する人が増えています。
それを担保する法律があるからです。
いや、あるのではなく、「苦労して作った」からです。
「日本でもそのようになればいい」
という人がよくいます。
特に高齢者がよくそんなことを言います。
「平穏死なんて呑気なこと言ってないで安楽死させて」とか
「先生、私がそうなったら安楽死させてくださいね」とか
「あんた、安楽死させてくれる医者でしょ?」と言われることも。
以前、ある講演会で2時間ほど平穏死の講演をした後に
偉い先生から「なぜ、安楽死はダメなのか?」と質問されました。
「先生、今、安楽死の話をされたのでしょ?」とも言われました。
「尊厳死や安楽死には俺は反対だ」と述べた医学界の重鎮もいました。
もしもし、両者は全然違うのですが……
ちなみに私は尊厳死には賛成ですが、安楽死には反対しています。
平穏死と安楽死の区別がわからない大先生は、実は沢山います。
「平穏死、尊厳死、安楽死」の区別について、これまでいろんな
医師に質問してきましたが、ちゃんと答えられた医師はゼロでした。
医師がわからないものは、一般の人はもっとわからないのではないか。
しかし、そもそもそんなことを全く知らなくても、一流の医師として
高く評価され、リーダーとして働くことができるのが日本の医療界。
なにせ「死の教育」はほぼ皆無のまま、医者人生を全うできる国だ。
ところで、「なぜオランダでは安楽死が許されるのか?」という問い。
これはいい質問です。
答えるのに10分ほどかかりますが、簡単に説明してみます。
端的にいえば『自殺できないから』だと思います。
キリスト教では自殺は許されていません。
だから安楽死、それもできれば医者を介して死ぬという方法を
彼らは一生懸命、模索しているのです。
今回も欧米人に言われました。
「ほんとうに日本は羨ましいよ。自殺ができる国なんだから」
「ええ? 自殺はダメですよ!」
「なに言ってるんだ。年間3万人も自殺できるなんて羨ましいよ。
それに、自殺しても天国に行けるんだろう?」
「……」
死生観や法律の話になると、宗教や文化の土台が大きく影響します。
だから欧米の議論は、日本にはそれほど参考にならないと思います。
むしろ台湾の法律の方が参考になると考え、GW後にも書きました。
日本は、世界から見ると独自の宗教、文化を持っている不思議な国です。
そこに、国民皆保険制度や介護保険制度などの社会保障があります。
だから日本は日本で、世界のことはあまり気にせず議論すればいい。
私は、こうしたことを「考えること」自体が大切だと思います。
しかし先日、母親にさりげなく「イザという時どうする?」と聞いたら、
「あんた、イヤなこと聞かんといて!」と怒られました。(笑)
そう。日本は「わざわざ聞かなくても、誰かがええようにしてくれるやろ」
という大変おおらかな文化なのだと思います。
「道で財布を落としても誰かが交番に届けてくれるやろ」みたいな感じ。
「自己決定がすべて」とは思いません。
自殺は究極の自己決定であるからです。
しかし、自己決定しなさすぎるのもどうか。
日本は、こうした議論から始めなければいけない国なのです。
奥ゆかしいというか、おおらかというのか、面倒くさいというか。
しかしそれでもいいから、議論を少しは前に進めるべきだと思います。
実は、日本におけるキーワードはただひとつ。
それは「家族」です。
自己決定よりも家族の意思が優先する社会の仕組みにあると考えます。
だからこそ、台湾の先例に大いに学ぶべきなのです。
◇ ◇
シカゴから帰って1週間で5人の在宅看取りがありました。
どなたも驚くくらい穏やかで荘厳な最期でした。
欧米には、こうした「平穏死」は無いようです。
以上で、シカゴの死の権利・世界大会の報告を終えます。
海外の話は、必ずしもみなさまのお役に立つ話ではないと思います。
それでも熱心に読んでいただいた方に、心から感謝申し上げます。