《1625》 一緒の食事、先月が最後に…… [未分類]

去る9月24日、黒田裕子さんという看護師さんが旅立たれました。

 http://www.asahi.com/articles/ASG9S3SQ1G9SPIHB010.html

さまざなメディアが、全国ネットで報じました。

黒田さんがどんな人か知らない方は、彼女の活動を紹介したネット記事が
いろいろと見つかると思いますので、是非、読んでみてください。
一言でいうなら国内外で災害ボランティアとして活躍された人。

身近な人、いつもそこにいる人が急に居なくなると、寂しいもの。
日々、沢山の在宅看取りをしている身ですが、ちょっと凹みました。
黒田さんとの想い出を、思い出すまま数回、書かせていただきます。

◇                 ◇

8月9日が、彼女に最後にお目にかかった夜になります。
台風が兵庫県に上陸する前夜でした。
黒田さんから「三宮に出てきて!」と電話があり、そこに急ぎました。

いつものように楽しい話をしながら、食べて飲んでいたのです。
まさかその1カ月半後にこの世から旅立たれるとは、その時は
私も彼女も、当たり前ですが、まったく考えていませんでした。

私が黒田さんが末期がんであることを知ったのは、その1カ月後。

 http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201409/0007343584.shtml

新聞に出る少し前に知人がメールでそっと教えてくれていました。

気がついた時にはもはや末期がんであったこと。
西宮の病院から島根のホスピスに転院すること。
余命いくばくもないこと、などが新聞やネットで報じられ驚きました。

不思議に思ったのは、まだ亡くなっていないのにこうした記事や
写真が、メディアに載ることでした。
普通は、どんなに大物でも亡くなってから発表されるものです。

後から知ったのですが、黒田さん自身が公表をOKされたそうです。
「さすが黒田さん」といつものようにからかおうにも、もうこの世に
彼女はいません。

亡くなられた前日の9月23日の夜、黒田さんが副理事長を務める
日本ホスピス在宅ケア研究会の会合が、神戸でありました。
その後、彼女と親しい人たちが残り、会食をしました。

全員が、黒田さんとの想い出話をしみじみと語りました。
しかし考えてみれば、まだ亡くなっていないのに、仲間が泣きながら
想い出を話していたのも、知らない人からみれば変かもしれませんね。

それにしても黒田さんとは、いつも好きなことを言い合っていました。
多少年齢は離れていましたが、お互いに言いたいことを言える者同士。
ホスピス活動や、さまざまな活動では「同志」でもありました。

「長尾先生、ちゃんと寝てね!」
「いやー、黒田さんこそちゃんと寝てるの?」
「寝てるわよ、1時間くらいは」
「1時間……??」

いつも仕事をしながら、机に伏して1時間くらいの仮眠しかしないと。

お互いが「野垂れ死に」志望、でした。
「私なんかその辺で野垂れ死ぬから」といつも言われていました。
死ぬ話をしているかと思えばすぐに仕事の話に変わっていました。

9月23日の帰り道、付き添っておられる知人に電話をしてみました。
受話器を彼女の耳に当ててもらいながら、大声で話かけてみました。
そして最後に、「黒田さん、ありがとうね!」と言いました。

付き添いの人は、「長尾先生、黒田さんに聞こえたみたいよ。
何か少し言おうとしているから」と言ってくれました。
それだけでもなんだか満足した気分になり、眠りにつきました。

翌朝、起きると彼女の訃報が流れてきました。
私が彼女に電話で話しかけた3時間後に、息を引き取られていました。
しかし今でもまだ、黒田さんから電話がかかってきそうな気がします。

(続く)