週末、和歌山県紀の川市で平穏死の講演をしました。
講演前に華岡青洲記念館に案内していただきました。
200年前に全身麻酔で乳がんの手術をした医師です。
彼は手術で命を救いたいと思った医者です。
当時、乳がんを手術しようと考えた医師は皆無でした。
患者を救うため、まったく新しいことに挑戦したのです。
青洲の生活ぶり、診療の様子などが分り易く知ることができます。
マンダラケやトリカブトなどの生薬で独自の麻酔薬「通仙散」を開発。
母親と奥さんを麻酔の実験台にした結果、奥さんは失明します。
そして1804年に世界初の全身麻酔下の乳がん手術に成功。
アメリカでそれに成功したのはそれから40年後になります。
聞いたことはありましたが、何でも最初は凄いなあと思いました。
私が何より驚いたのは、以下の2点です。
青洲は地位や名誉を全く求めなかったこと。
まさに地域のかかりつけ医としての生活を貫いたことです。
当時の病室や看護師の当直室も見ることができました。
第2に、青洲の実力を聞いて全国から集まった医師達が入門する
時に、とても厳しい誓約書を書かせたことです。
また秘伝の技を公開しないように血判状で約束させた点です。
青洲は、弟子たちに相当厳しい教育をしていたようです。
しかしそのおかげで、高い技術を持った優秀な医師が全国各地に
帰り、結果的に、日本全体の外科のレベルが上がったようです。
アメリカ・シカゴの世界外科学会の本部には、青洲の肖像などが
飾られており、世界レベルでも認められていた日本の医師なのです。
シカゴには、2週間前に行ったばかりですが知りませんでした。
私は、「蘭学医・関寛斎」という本を書きましたが、青洲は
寛斎より70年前に生きた人で、接点は無かったようです。
青洲は江戸時代、寛斎は明治を生きた医聖です。
私自身も2年間外科医と麻酔医(研修医)をやっていました。
人に麻酔をかけたり、メスを入れていましたが、青洲の努力
の上に自分の研修があったことを振り帰りました。
記念館の一角にある、自然食のバイキングレストランは秀逸でした。
和歌山の美味しい野菜や果物が食べ物が並んでいます。
いちじく、柿、梨、ブドウ、みかんなど秋の味覚を楽しみました。
紀ノ川市は小さな町ですが、講演会場は満員で立ち見が出ていました。
青洲に感動し、味覚に感動し、市民の終末期医療への熱心さに感動しました。
和歌山は私たち関西人もそうそう行く場所ではありませんが、実にいい場所。
特に紀ノ川沿いは山並みが素晴らしく、眺めているだけで和みます。
素晴らしい野菜と果物に恵まれたこの紀ノ川に是非寄ってください。
ちなみに懇親会は、車で小一時間走った高野山の宿坊でしてくれました。