《1635》 がんを放置して医療裁判に・・・ [未分類]

今日も胃がんの話です。

42歳の男性が、検診の胃透視で異常を指摘されました。
当院で内視鏡をしたところ、胃の真ん中に直径2cmの
周囲がやや盛り上がった、へこんだ病変が見つかりました。

一見して、早期がんないし少し進行がんの段階の胃がんです。
組織検査の結果も、やはり、がんでした。
私はただちに、評判のいいA大学病院の外科に紹介しました。

幸いなことに、肝臓への転移はみつからず腫瘍マーカーも

正常だったので、手術の適応だと判断されました。
さすがに内視鏡的手術は無理だが、腹腔鏡手術が提案されました。

しかし患者さんは、近くの本屋さんの店先でB大学病院のC医師が
書かれた「がん放置療法」という本を買って熱心に読み込んだそうです。
手術を受けていいのか、そもそも本物のがんなのか真剣に悩まれました。

再び、私の外来で、手術を受けるべきかどうか相談に来られました。
私は「早期がんを放置すると少なからず進行がんになり、やがて死にます。
あなたはまだ若いので、手術をした方がいいと思うよ」と伝えました。

しかしすっかり疑心暗鬼になったその患者さんは、
「そんなこと言って、俺を金もうけの道具にするんだろう」とか
「抗がん剤の製薬会社と癒着しているのだろう」なんて言い出しました。

結局、C医師のセカンドオピニオン外来を受診されることになりました。
その後どうなったのか気になっていましたが日々の忙しさに紛れました。
紹介したA大学病院からも、ついに手術結果の返事は届きませんでした。

果たして、2年半ほどの月日が経ったある日、その患者さんのご家族から
突然、電話がかかってきて、往診を頼まれました。
慌てて伺うと2年半前の彼とは全く違う、痩せこけた体が横たわっていた。

しかしお腹だけはポコンと出ていました。
がん性腹膜炎による腸閉塞と腹水でした。
もはやトイレに歩くこともできません・・・

結局、在宅医療はたった5日間で終わり、静かに旅立たれました。
慌てて施した貼り薬の麻薬のおかげで、最期は痛みだけは軽減できました。
管一本無い、平穏死、でした。

どうやら2年半の間、逃げてどこの医療機関にもかからなかったそうです。
おひとりさまの彼は、3カ月前まで仕事もちゃんとやっていたそうです。
彼のご家族とは、看取りの時に初めてお会いしました。

 

彼の旅立ちから2ケ月後のある日、ご家族から内容証明郵便が届きました。

「がんと分かりながら、放置した結果、死んだのではないか?
 早期がんなら手術すれば助かったのではないか?」といった
趣旨の質問が並んでいて驚きました。

私は、「彼にちゃんと胃がんを告知してA病院に紹介したこと」
「A病院からも手術予定であるとの旨の手紙が届いたこと」を
ありのままに説明する手紙をご家族に書きました。

それから1カ月後、突然、裁判所がクリニックに入ってきました。
亡くなられた患者さんのカルテや画像などを押収していきました。
先の内視鏡写真はその時、押収された資料の一部です。

結局「説明不足による胃がんの治療の遅れ」という民事裁判になりました。
まだ42歳の若さだったので1億円という損害賠償請求の裁判だそうです。
私とA病院の担当医が訴えられたのです。

毎週、弁護士さんとの打ち合わせで、ヘトヘトになりました。
生まれて初めて医療裁判とやらを経験しました。
もはや仕事どころではありません。

裁判官は、私たちにこう言いました。
「胃がんは現代では、早期に発見すれば8~9割が治るがんである。
 患者さんは比較的早期の胃がんだったようなので、その時適切な外科手術
などの処置を講ずれば少なくとも2年半後に亡くなることは無かったはず」

私は、心の中で「それは患者さんが勝手にC医師の放置療法の本を信じた結果。
C医師のセカンドオピニオン外来を受診したからであって、我々に責任は無い」
とつぶやきましたが、説明が不十分だったという反省もあり上手に弁明できなかった。

数回の法廷のあと、約1年後に、判決が出ました。
なんと「無罪」でした。
私もA病院の主治医も、落ち度が無かったことが裁判所に認められたのです。

平穏死のはずが、医療裁判に。
結局は無罪だったけど、1年間のエネルギーのほとんどが裁判に費やされた。
そして何より、患者さんにもご家族にも大きな悔いが残った結果であった・・・

考えてみれば、がん放置ではなく、患者放置になっていたかも。
しかし医者から患者宅に電話はしにくいし、実際には遠慮がある。

彼が選んだ道だったのだからしょうがなかったのか?
いやいや、もっとおせっかいを焼くべきであったのか?

無罪判決にホっとして訪れた有馬温泉につかりながら、考えていました。
それにしても、もしあの本に出会わなければどうなっていたのだろうと。

 

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すでにお気きずきづしょうが、実は今日の文章はフィクションです。
そして内視鏡写真は、昨日の記事のものとまったく同じものです。

昨日の話は、ほんとうの話です。
今日の話は、フィクションです。

しかし、内視鏡も、放置していたという経過も、在宅看取りも
平穏死だったことも、すべて同じストーリーです。

違うのは、患者さんの年齢と、ご家族の死後の行動だけです。

裁判官の話は、勝手なつくり話です。
私は幸か不幸か医療裁判の当事者になったことが無いので適当にしか書けない。

昨日の記事と今日の記事を、ゆっくり読み比べて頂ければ幸いです。

PS)
一昨日は、東京医科大学で「平穏死」の講演をしていました。
大学病院の医師や東京の在宅医相手に、1時間で話せる内容はわずか。

帰阪してすぐに、平穏死の看取り。
今日は、栃木県足利市で講演です。。

みなさま、どうか台風に気をつけてください。
私も無理はしません。