完治する可能性があるがんを治療せずに経過観察する場合は
現実にいくらでもあることが少しはお分かり頂けたと思います。
年齢、臓器、悪性度、認知症の有無等によって判断が異なります。
年をとればとるほど、タチの悪い臓器のがんであればあるほど、
そして悪性度が高いほど、何もせずに経過観察する確率が高くなる。
患者さんの強い希望である場合も、医師が強く勧める場合もある。
迷う場合は、多くは話し合いで決定されている"はず"です。
しかし、患者さんの中には、医師に遠慮をして本音を言えない場合も。
だから後になってから、心残り、恨みつらみが出てきます。
さて55歳とまだ若い人から大腸がんの放置に関する相談を受けました。
といっても一度も会ったことがない遠くの方から長い手紙を頂いたのです。
図書館で読んだ私の著書に関する、激しい批判が書かれていました。
文面から察するにどうもまだ充分助かる範囲(ステージⅡ)の大腸がん。
おそらく進行がんでしょうが、まだ遠隔転移がない段階のようです。
病院の担当医は強く手術を勧めているが、本人は断固拒否のようです。
「がん放置療法」の本に心酔しているようで、手術したほうがいいと
いう私の意見など、まったく耳に入らないようです。
ブログに返事を書きましたが、また批判されてしまいました・・・
奥さんは泣いているそうです。
そりゃそうでしょう。
助かる可能性が十分あるものを、初めから諦めるのですから。
よく考えると、この方はもしかしたらまだ迷っておられるのかもしれない。
本当に固い決意があるならば、見知らぬ私に長い手紙などよこしません。
もしかしたら、凄い怖がり屋さんなのかもしれません。
放置療法に憧れながらも、それとは異なる意見の私にわざわざ手紙を書く
彼の気持ちを想像しながら、この文章を書いています。
内心ビクビクしながら日々暮らしているのではないかと想像しています。
このようなまだ若くて助かる可能性が高い大腸がんの放置療法に対しては、
市民においても様々な意見があることでしょう。
- 個人の自由だから、放っておけばいい
- 医療費節約になるから、放ておけばいい
- なんとしても説得して手術するのが医者の務めだ……
私は、どれでもありません。
患者さんによく勉強していただき、その上で後悔のない選択をしてほしい。
ただそれだけの気持ちで本を書いたのですが、そんな程度では届きません。
極論は魅力的です。
革命や刷新に人は酔うこともできます。
しかし生身の人間の病気に、あとになってから、タラレバはありません。
こうした見知らぬ"被害者"のために本を書いているのですが、
肝心のその人に、私の本意が届かないことをたいへん無念に思います。
この人が指摘しているように、私の力不足です。
今日は、現実に、このような方がおられることを知って頂けたら幸いです。
ちなみに、この方が100歳なら、「好きにしてくださいね」で終わりです。
とすると、やはり年齢や活動性が大変重要な因子となります。
この方は手紙の最後にあるように、多くの人の意見を求めているようです。
このサイトを読まれた方は、どうかこの見知らぬ方に意見をしてください。
私自身は稚拙な説明でしょうが、一応申し上げることはすでに書きました。
結局、よく読むと主治医に対する不満や不信感がかなりあるようです。
つまり高圧的な態度、上から目線の説明などが相当頭にきているようです。
そうした不信感が、極論へと向かわせる原因にも思います。
となると、極論を非難するだけでなく、がん医療者も大いに反省すべきではないか。
そもそもがん医療は患者さんのためにあるのにそうは受け止められていない。
そんな気にもなり、この方が二重の意味で気の毒になってくるのです。
がん医療に殺されても、医療否定本に殺されてもいけないのです。
ただそれだけなのに、なかなか変われないのが医療界。
こうした患者さんの生の声に、もっと耳を傾けないと、と思っています。