昨日、親孝行な子どもが免疫療法という親孝行をした話を書きました。
今日は、親孝行な子どもが抗がん剤を飲ませていた例をお話しします。
78歳の男性が背中の痛みを訴え、5センチの膵臓がんが発見されました。
がん診療連携拠点病院に紹介すると、もはや手術や放射線治療の適応は無くて、
「やるとすれば抗がん剤ぐらい」との判断でした。
本人は「もう歳なので何もしないで放置したい」との意向でした。
しかし、親孝行な息子たちは、なんとか「治療」を受けさせたいと。
結局、飲み薬タイプの抗がん剤が病院から処方されました。
食欲がなく体重減少が著しいので当院の外来に点滴に通われました。
2カ月後、もはや通院できなくなり自然に在宅医療に移行しました。
私が週1回訪問し、訪問看護師が週3回訪問して点滴をすることに。
息子さんが勤めに行っている間に患者さんがそっと教えてくれました。
「先生、息子の前では抗がん剤を飲んでいることになっていますが、
本当はほとんど飲まないで捨てています」と。
私は黙ってただ聞いていました。
YESと言っても、NOと言ってもあとで問題になる可能性があります。
息子さんはがん拠点病院に「お薬受診」をして抗がん剤をもらってきます。
どんなに悪くなってもがん拠点病院と御縁は切らしたくない、とのこと。
がん拠点病院からは、「採血で副作用のチェックを」とのFAXが届く。
私はその板挟みになりながらも患者さんの言葉に耳を傾けていました。
- とにかく抗がん剤だけは飲みたくない
- しかし息子の気持ちを考えると、飲んでいることにしておいてほしい
などの本音を語られました。
夜は帰ってきた息子さんが服薬確認をする時があるので
息子の目の前で、本当に1錠飲むことがあるのです。
しかし後でそっと吐き出している、とも言われました。
結局、1カ月半後に、自宅で平穏死されました。
痛みが強くなり、モルヒネ管理が中心になったので息子さんの関心は、
抗がん剤から痛み止めに移り、抗がん剤の話は自然消滅しました。
日本は、終末期の医療内容を本人自身が決めているのは数%程度で
3分の2は家族が、3分の1は医療者が決めているのが現状です。
それは胃ろうや人工呼吸器や人工透析に関するアンケート結果です。
しかし終末期に至る前の、たとえば今回のような抗がん剤治療においても
「家族」の意向に大きく左右されるのが現状です。
日本の終末期周辺の諸問題は、極論すれば家族の問題となります。
もしくは、本人と家族と関係性といったほうがいいでしょうか。
それほど、家族の意向、権限が強いので医療現場は苦労します。
だから私は、「家族」に関する本を、続々と書いてきました。
家族と死に関しては
「家族が選んだ平穏死」
「『平穏死』という親孝行」
家族とがんに関しては
「がんの花道」
「抗がん剤 10の『やめどき』」
家族と認知症に関しては
「ばあちゃん、介護施設を間違えたらもっとボケるで!」
そして11月に、認知症と家族に関する新刊が出ます。
医療者が患者さんに充分に寄り添えていない話を書きました。
その結果、確かに、医療否定本が飛ぶように売れています。
患者さんの恨み、つらみが極論讃美へと向かわせています。
一方、医療者から見れば、患者さん本人と家族の関係性も
かなりおかしくなっています。
家族が患者さん本人に寄り添えていない場合を、よく見ます。
日本は、患者さんが自己決定しない国です。
そして自己決定しても医療者や家族に壊されてしまうことがよくある。
「患者中心の医療」という言葉の対象は家族にも向けられるべきです。
意思疎通ができなくなっての年金目当ての延命治療強要なども同様。
家族と言えども、別の人格だと思いますが、医療者は家族と名乗る
複数の別人格との対応に日々苦労しているのが現実です。