ブリタニーさんの死に、日本でも多くの若者が反応しています。
それは、ネット上の彼らの書き込みを読めば分かります。
どれも、とてもいい質問・意見ばかりです。
- 自分の意思で死んでなぜ悪いのか?
- 日本ではなぜ、欧米と同じように安楽死できないのか?
- なぜ、人の死に赤の他人がとやかく言う必要があるのか?
私は、こうした素朴な問いこそ、もっとも根源的で本質的なもので
大切に議論すべき命題であると思います。
しかしそうした核心部分を論じるメデイアは、まずありません。
あと、昨日書いたように、言葉の混乱が相当あるのも一因です。
日本語として使っている「尊厳死」と「安楽死」は別物です。
これは何百回も繰り返し書いていますが、周知されていません。
私自身も日本尊厳死協会も、「安楽死」には明確に反対しています。
しかし言葉の定義を知らない人が、理解しがたい攻撃をしてきます。
一部のメディアも同様な言葉の暴力で、議論の場を封じてきました。
こうした混乱が、国会(正確には議員会館や議員連盟)での議論が
9年間も完全に停滞している大きな理由のひとつです。
言葉の定義が人によって違えば、議論がかみ合うはずもありません。
こうしたことは、何度もメディアの方に時間をかけて説明してきました。
しかしそうした基礎知識を報じたメディアは皆無でした。
大変残念なことですが、死の議論は日本ではいまだにタブーなのです。
「そんなこと言って、安楽死と尊厳死って、結局は一緒じゃないか!」
そんなヤジを飛ばされたことも何度かありますが、一緒ではありません。
また、「尊厳死法制化」なんて6文字は、どこにも存在しません。
「終末期の医療における患者の意思を尊重する法律案」しか存在しません。
しかし、いくらお願いしても多くのメディアは「尊厳死法制化」と書き続け、
そして「安楽死反対!」という意見との両論併記でお茶を濁してきました。
「安楽死には反対!」といくら言っても、そうした野次にかき消されるので
私は2年前から「平穏死」という言葉を用いて何冊かの本を書いてきました。
誤解されるくらいならば、いっそ「尊厳死」という言葉を死語にしたほうが
いいのかな、と思うくらい、言葉が誤解され続けているのが現状です。
それでも、まだ理解できないという人のために
もっとわかりやすい『たとえ』をしてみます。
日本語において
- 安楽死とは「待てない」こと
- 尊厳死とは「待つ」こと
「待つ」と「待てない」では両極端です。
ブリタニーさんの死を契機に、こうした「いまさら聞けない素朴な疑問」
から、老若男女による国民的議論を始めるべき時が来たと思います。