昨日は神戸で黒田裕子さんを偲ぶ会があり、参加しました。
黒田さんはさまざまな団体や組織と関わっておられたので
合同開催の会となり、全国からたくさんの人が集まりました。
それぞれの立場から生身の黒田さんが語られました。
それぞれが断片的に見ていた黒田さん像が、昨日、
見事に「統合」され、完成したように感じました。
偲ぶ会というより、黒田裕子を語る会、でした。
涙あり、笑いありでいろんな立場の方が交流した午後でした。
たとえば作家の柳田邦男さんも追悼の言葉を述べられました。
深夜の電話、食べる時間もない、全国を飛び回る、厳しい後輩指導、
一貫した現場主義、などの黒田さん像があらためて浮かんできました。
聞きながら、「これを全部、黒田さんに聞かせたいなあ」と思いました。
災害看護という領域を切り開いたのも黒田さんでした。
在宅ホスピスを切り開いたのも黒田さん。
考えてみればいろんな分野の開拓者でした。
東北の体育館では、平均台の上で寝ていたそうです。
わずか10cmの平均台を3つ並べてた30cmの幅の上で寝る?
驚くような話が沢山飛び出しました。
あまりにも近すぎて、彼女の偉大さをよく分かっていませんでした。
いつも怒られたり、呆れられたり、命じられたりという記憶ばかり。
そんな人間が世の中にたくさんいることも知ることができました。
船長を失った船のような組織がいくつか残りました。
私たち日本ホスピス在宅ケア研究会も深い悲しみの中、茫然状態です。
まだ亡くなられた実感が全然ない、のが本当のところです。
考えてみれば黒田さんのような“ヘン”な看護師さんはどこにいない。
たった一人の“ヘン”な看護師さんが世の中をつき動かしてきました。
たくさんのボランティアを養成し、困っている人を笑顔に変えてきました。
黒田裕子という生き方を、医療界・看護界・介護界は
これからじっくりと学ぶべきです。
黒田さんは、やはり偉大な人でした。