《0171》 医師の労働対価はこんなもの [未分類]

研修医時代、私のタイムカードはありませんでした。
あったのかもしれませんが、滅多に病院から出ないので
気がつかなかったのかもしれません。
忘れました。

週に6~7日、当直していました。
もちろん昼間も忙しく働いていました。
3食、患者さんと同じ食事を食べていました。

借りたアパートで寝たのは、2年間で数えるほど。
1年360日、病院の研修医室に寝泊まりしていました。

昼間は、麻酔や手術に入り、夜はもっぱら救急当直。
院内の入院患者、特に重症患者さんの多くを診ていました。

白血病の患者さんを常に何人か受け持っていました。
骨髄検査や中心静脈ルートを作りに明け暮れた毎日でした。

2年間で、数えきれないほどの患者さんを看取りました。
そこは、大学病院の終末期の患者さんが送られてくる病院でした。
その時の経験が、現在の在宅医療に活きています。

大学病院に帰ると、3年3カ月間、無給医局員でした。
土曜日午前の関連病院の外来バイトを、医局から斡旋してもらい、
その月給の10万円で生活していました。
そのうえ「研究生」という身分を得るため、授業料を払わされました。

研修医が多いので病棟の受け持ち患者さんは2、3人ですが、
検査の当日や重症になると、タコ部屋に泊まることが義務でした。

10万円では生活できませんから、自分で当直のバイトを探しました。
時々、夜7時くらいに抜け出してバイト当直に行くと、上司に怒られました。
しかし、扶養家族もいるので行きました。

研究もしていましたので、正確な労働時間は分かりません。
日付けが変わる頃に家にたどり着くという毎日でした。

3年目にようやく、「非常勤シニア」という給与をもらえる身分になりました。
給与が出るといっても、「日雇い労働者扱い」で月に約15万円。
それでも、大学病院で3年以上一生懸命働いて、やっと得たこの給与は
本当に嬉しかった。

時給に換算すれば、500円にも満たないでしょう。
このような身分の医者が、同じ医局に30人くらいいました。
半数が無給医局員ですから、もらえるだけで満足でした。

30歳を過ぎても、病院からいただく給与は年収200万円弱。
今なら、まさにワーキングプアの代表格でしょう。 

公立病院に移っても死ぬほど働きました。
本当に死ぬのでは?と何度も思いました。

当直でなくても、寝る暇があまりありませんでした。
休日や夜間もよく働きましたが、タイムカードは押しませんでした。

「医者は時間で働いているわけではない」という意識でした。
週に40時間労働なら、その倍以上は働いていました。

3年目ぐらいに、ようやく時間外手当が付くようになりました。
その頃から、信念を曲げて、タイムカードを押していました。

消化器内科なので、毎日、放射線を浴びまくりでした。
造影検査の時は、いつもモニターに自分の手の骨が写っていました。
患者さんはその時だけの被曝ですが、こちらは連日浴びていました。

たぶん、「そのうち白血病で死ぬだろうな」と思っていました。
先輩には、「放射線被曝で手が真っ赤にただれたら一人前だ」と、言われていました。

だから、放射線被曝を測るフイルムバッチはいつも外していました。
付けると、基準値を大きく超えて、仕事ができなくなるためです。
私がいなくなると代わりの医者がいないので困る、と思っていました。

開業医となった現在も、連日、深夜まで働いています。
深夜もと言った方が正確かもしれません。
24時間、365日拘束されています。

これを書いている10月7日午前2時50分にも鼻血が止まらないという
患者さん家族から、電話が入りました。
深夜や早朝にも頻回に起こされます。

しかし、今は自営業。
自分で選んだ道ですから、自分の意思で変更可能です。
私は特殊かもしれませんが、世間の皆さんが言われるように
医者の労働対価が高いとは決して思いません。
それでも医者は、世の悪者の代表です。