私は現在、30冊以上の本を出版していますが、記念すべき第1冊目は「町医者冥利」という本です。私の原点とも言える記録です。
この本の最後の方に、今から19年前の1996年に兵庫県相生市で話をした講演録が掲載されています。
本が絶版になっているため、現在では読むことは困難だと思います。数日間にわたり、この講演録を分割してご紹介します。
19年前の講演録ですが、現在となにも変わっていません。悲しむべきか。喜ぶべきか、よく分かりませんが、とにかく数回に分けてご紹介します。
約20年前の文章が、誰かの役に立てば幸いです。
(編集部注 : 一部の表記などをあらためています)
21世紀の医療について ~西洋医学と東洋医学~
最後に、医療の現場で普段考えていることを少し話させていただきます。私は21世紀の医療においては、東洋医学と予防医学がますます重要になると考えています。
東洋医学と予防医学は重なるところが多くあります。どちらも病気を治すことより、病気にならないように予防する――未病の医学といいますが――ことに重きを置きます。
一方、現在一般に病院で行われている医学は、薬や手術による治療や延命を目的にしています。私はがんセンターにいる友人とよく議論しますが、癌専門病院の研究目的は、極論すれば少しでも長く患者さんを生かすことです。その目的のため新しい薬であるとか、いろんな治療を試みているわけです。
明治以降、西洋医学が日本に入ってきまして、我々医者も皆さんも西洋医学が本来の医学だと思っていますが、今どうも反省点にきているように感じます。
マスコミの報道姿勢にも少し問題があると思います。
テレビは、どうして癌治療や臓器移植などの最新医学の話題ばかりをセンセーショナルに取り上げるのでしょうか。肝臓病を例にとりますと、最新医学では例えば肝硬変という病気になれば、臓器移植の概念で解決しようとします。肝臓移植ができること自体は、科学としては素晴らしいことです。しかし医療としては、莫大な医療費をはじめとしてさまざまな問題点があります。
それよりも、もっと肝硬変になるずっと前にさかのぼって、お酒をやめるとか、慢性肝炎に対して厳重な管理を続けるとかを、良きアドバイザーによって行っていれば、肝機能の低下を少しでも食い止められたかもしれません。これが予防医学の考え方ですけれども、これも相当価値がある仕事だと思います。
臓器がダメになってから、臓器を交換していてはきりがないし、第一、神様が人間にそう簡単にそれを許すとは到底思えません。それより、前もって病気を予防する方がお金もかかりませんし、どれだけ価値のある仕事かわかりません。私は地道にそういう努力を続けているドクターも、もっと評価されるべきだと思います。
東洋医学と西洋医学は、考え方がまったく逆の場合があります。
例えば、風邪をひいて高熱が出て病院へ行きます。西洋医学では発熱を悪いものと考え、解熱剤で下げますが、東洋医学では発熱を良い反応としてとらえ、むしろこれを利用して風邪を治そうと考えます。
小さい頃、風邪をひくとおばあさんに布団をたくさんかけられ、汗をびっしょりかかされ、気が付くと自然と風邪が治っていました。これは、今にして思えば立派な東洋医学の知恵です。
西洋医学では、風邪はウイルスという外敵の侵入としてとらえ、それに対抗して抗生物質という輸入兵器を外部から投与し、身体の中で戦争をしかけます。
東洋医学は、むしろ入ってきたウイルスを一旦容認したのちに身体が反応して熱が出るのを待ち、その熱が上がりきったところでインターフェロンという物質が体内で自然に出てきますが、この自然発生した自前の軍隊によってウイルスをやっつけて風邪を治すという考え方です。だから熱に対する発想は全く逆です。
下痢についてもそうです。悪いものを食べたら下痢をするのはなぜでしょう? これは身体から早く毒を出さないといけないからです。ところが下痢をしてお医者さんへ行くと、下痢止めで下痢を止めてしまうことが現実には多いわけです。
先日、O-157の騒ぎがありましたけれども、その時に「安易に下痢止めを投与したら症状が悪化するので、0-157の感染症が疑われる場合は下痢止めを使うな」ということが、我々医者の間だけでなく一般の方々にも啓蒙されました。
しかし、東洋医学の考え方では当たり前のことです。下痢をするというのは身体が早く毒を出そうとしているんだから、それを安易に止めてはいけない。東洋医学の正当性を、O-157の騒ぎが改めて教えてくれました。
西洋医学では薬による治療が中心ですが、東洋医学では薬のみならず、食事などのいわゆる養生法を重視します。もちろん皆様よくご存知の漢方薬も使いますが、これは薬草を何種類も、ある割合で混ぜたものです。ですから、漢方薬は化学物質ではなくて、むしろ食べ物に近いものです。すなわち、植物を薬として補助的に使うというのが、東洋医学の考え方です。
要するにこれからは1人の医者が、まず西洋医学を充分に勉強し、その上で東洋医学をも勉強する必要があると思います。
いくら東洋医学も素晴らしいといっても、例えばお腹がひどく痛いと言われたらまず胃カメラで調べるとか、異常に体がだるいと言えば血液検査で肝機能を調べるとか、身体の各臓器をまず分析してみるという西洋医学的な態度は絶対に必要です。そうしないと、がんや糖尿病などの重要な病気を、最初の段階で見逃してしまう可能性があります。
だからといって特定の臓器だけに目を奪われすぎると、病気の本質を見逃してしまう場合があります。血糖が高いのは膵臓が悪いのではなく、生活習慣に問題がある場合がほとんどです。呼吸法に本質的な問題がある場合もあります。ですから臓器として分析する態度も必要ですし、また、時には人間を一つの小宇宙としてとらえた上でバランスの崩れた部位を探すという態度も必要です。
これからは私も含め1人ひとりの医者が、西洋医学と東洋医学の両方を勉強しなければいけない時代になってきた、と痛感しています。
また本の話になりますけれども、最近、慶応大学の近藤先生が「患者よ、がんと闘うな」という本を出されて――お読みになった方も多いと思いますけれども――これもベストセラーになっています。この本の中で、抗がん剤はほとんど意味がないとか、がん検診あるいはがんの手術は意味がないと述べられており、かなり過激な内容で医者の間では物議をかもしだしています。
私は、まず「がんと闘うな」という本の題そのものに、東洋医学的な発想を強く感じました。がんというのは西洋医学では生体にとっては極悪な異物ととらえますので、除去したり抗がん剤で殺したりします。
ところがこれは私の想像ですが、東洋医学ではがんさえもそもそもは自分の身体の中から出てきたものの一部であると考え、なるべくうまく共存し、できれば自分の免疫能で消褪させようという発想ではないでしょうか。
もちろん、がんという病気はそんな単純じゃありませんが。近藤先生は、抗がん剤の9割は意味がないと主張されていますが、抗がん剤治療も大きく変わって来ています。ただ、がんの手術は全く意味がないというのは、ちょっと言い過ぎだと思います。検診で進行したがんが見つかり、手術によって助かった人達も大勢いるわけです。近藤先生は、ちょっと極論を言い過ぎたかなと思います。
(続く)