この2日間で、4人の在宅患者さんのお看取りがありました。
末期がんや老衰などで在宅療養をしてきた方との別れは辛い。
特に2人は10年間近く主治医をさせて頂いた方でした。
90歳代の男性は、私が訪問した時にはお話ができました。
お水も少し飲まれていました。
しかし努力呼吸でした。
私はご家族に、こう説明しました。
「残念ながら、今は危篤状態です。
あと1日なので覚悟して下さい」
しかしご家族は、パニックになられました。
「死ぬなんて、とても信じられない。
まだ元気なのに老衰ですか」と要介護5を指して言われました。
「いや、昨年から徐々に弱ってきて食べられなくなることを
老衰というのですよ。そう思いませんか?」
息子さんや娘さんはもはや70歳代ですが、これまで一度も人が
亡くなるところを見たことがないので「怖い」と言われたのです。
とり乱すご家族に、私のほうが驚きました。
10年前に初めてお出会いした時も、この男性は意識が無くて
「あと1時間です」と言ってから復活して10年も生きられた。
だから今回の老衰は受け入れておられるのではないかと
勝手に思っていましたが、そうではありませんでした。
そこで、死ぬまでの話を死んでからの話に変えてみました。
「亡くなった後に連絡する葬儀屋さんは決めていますか?」
「お棺に入れる時に着せる着物は用意していますか?」
「湯灌はされますか?」
話題をこのように変えると俄然、頭が回り出したようです。
暗い雰囲気から一転、会話が弾みこんな言葉まで出ました。
「今から葬儀屋さんに電話しておいたほうがいいですか?」と。
「いやいや、まだ死んでいませんからね。
電話するなら親戚に知らせてください」
こんな会話をした丁度1時間後に亡くなりました。
余命1日という予想は、実際は余命1時間で終わりました。
しかし、こんなことはいくらでもあります(恥)。
毎日のように看取っていても、これだけ間違います。
恥ずかしながら、もっと大きく外すこともあります。
それくらい私の言う余命はあてにならないものです。
しかし1日と1時間位は、誤差範囲だと思い気にしません。
ご家族もまったく気にしていません。
人間の余命予測は本当に難しいもの。
余命なんて、間違ってもいい。
いのちのおわりに耳を澄ます時間がたとえ5分でもご家族と共有できたら、
あとで文句を言われることはまずありません。
多少予測が外れても穏やかな最期の現実を受け入れてくれます。
PS)
先週から特に忙しく家に居る時間がほとんどありません。
早朝・深夜を問わずに電話がかかってきて、往診します。
電話だけで済む場合もありますがそうでない場合もある。
看取りは当然として、胃ろうの自己抜去、心源性脳塞栓、
急性冠症候群など、1分を争う緊急コールも含まれています。
そうそう、今週の某週刊誌に私の不思議な体験が載っています。
今から(12時)仮眠をとりますが、完全に昼夜逆転しています。
24時間365日対応は、大変です。
建国記念日でよかったです。