偉いお医者さんや宗教家の講演を聞いていて、ひっかかる言葉がある。
「私は、尊厳死や安楽死には反対です」という言葉。
「尊厳死や安楽死」といっしょくたにして話されますが、聞きながら
「このエラい先生は、両者の違い、わかっているのかなあ?」
なんて思ってしまいます。
懇親会でおそるおそる、両者の違いを聞いてみたことがあります。
すると「そりゃ、同じだろう!」との答えに、愕然としたことがある。
少なくともその先生の中では、同じものだと理解されているようです。
宗教家も同じです。
「ひとの命は大切です。粗末にしてはいけません。
だから尊厳死や安楽死には、私たちは反対です!」
聞いている私は「尊厳死や安楽死」の「や」という言葉がひっかかる。
なぜ「クソもミソも」みたいにいっしょくたにするのか?
これは想像ですが、宗教家にも死の教育はないのではないか。
偉いお医者さんや偉いお坊さんですら、このありさまです。
その弟子さんにいたっては、いったいどんなものなのか。
尊厳死=生き切った先にある死
安楽死=生き切る前に、医者が薬剤で人工的に死期を早める死
しかし本当は、言葉なんてどうでもいい。
死にいくら形容詞をつけようがつけまいが、死は死でしかないから。
しかし、何か形容詞をつけないと議論が始められないのも現実です。
だから『尊厳死と安楽死の本』を書きました。
「長尾和宏の死の授業」という題名の本が今週出ます。
一度、尊厳死と安楽死の違いについて、みなさんと議論してみたい。