昨日は、東京大学の医学部の学生さんに「死の授業」をしました。
いうまでもなく、東大医学部は、我が国の最高学府。
その医学生と90分間、「死」について語り合ったのです。
- 死についてどのようなイメージを持っているのか
- 脳腫瘍になった米国の29歳女性の安楽死をどう思うか
- メディアはなぜ、それを「尊厳死」と誤報したのか
- チリの14歳の難病少女の「安楽死希望」をどう思うか
- ステージ4の乳がんの治療をしない51歳日本女性をどう思うか
- 尊厳死、平穏死、安楽死はどう違うのか
などいくつかのテーマについてお話をしました。
いちばん驚いたことは、授業の冒頭で問いかけた質問への反応でした。
「日本人の死者数は増えているか、減っているか」への回答です。
【ご参考】 《1759》 死ぬ人は増えているか? 減っているか?
http://apital.asahi.com/article/nagao/2015021200004.html
実は先週、ある大学のお医者さんに質問したら半数が間違いで、
特に教授は、2人とも間違いでした。
偉い医者ほど間違える、というのが全国的な医師の傾向です。
しかし、東大の医学生は、全員が正解! でした。
パーフェクトは、これまでの講演ではじめてのこと。
さすが東大! と思いながら講義を続けました。
東大医学部生らしい質問も飛んで来ました。
たとえば
「トータルペインの中で、精神的痛みと
スピリチュアルペインはどう違うのか?」という問い。
私は、シャネルという犬の最期を例にとって説明しました。
シャネルには、精神的痛みがあるのだろうか?
しかしスピリチュアルペインはあるのではないか? と。
あるいは、こんな質問も。
「がんを放置したら、安楽死ではないのか?」
そうではなく、もし亡くなったら、尊厳死・平穏死なのですが。
元・慶応大学の近藤先生を知っている学生もいました。
「がんはすべて放置」は間違いで、早期発見・早期治療が重要だとも説明。
もちろん、年齢やがんの種類やステージによっても答えは違うことも。
胃ろうについても質問してみました。
胃ろうを開始しないことと中止することは同等か否か、という命題。
どうやらこれは、医学生には難しすぎる質問だったようです。
私が驚いたことは、安楽死に肯定的な若者が多かったこと。
私が安楽死に反対だと言った時、彼らは意外な顔をしました。
私には、その反応が意外でした。
逆に、学生たちが意外と驚いたのが
「日本では、安楽死は医師が殺人罪で牢屋に入る。尊厳死・平穏死
でさえも、法律が無いのでグレーゾーンである」という私の言葉。
彼らも長尾が何を言い出すのか、不安だったと思います。
私も彼らがどう受け止めるのか、不安と期待が入り混じりました。
やはり、話してみないと分からないのが「死」というテーマです。
私と医学生たちはちょうど、親子ほどの歳の差があります。
しかしいくら歳の差があっても、「死」は平等に訪れます。
だから時間があれば、もっと語りあいたいと思いました。
この授業の教科書は、もちろん
「長尾和宏の死の授業」です。
この本と、「下半身動かぬセラピー犬 シャネル」
の2冊の本をプレゼントしました。
緩和医療を知ってもらうためです。
機会があれば、またこうした授業を行いたいと思いました。
学生さん達との対話に、もっと時間を割きたいと思いました。
近々、個人ブログで授業の様子をご紹介したいと思います。
ご興味のある方は、そちらを適宜、ご覧ください。
このコラムを読まれている医学部教授の先生がおられましたら、
個人的に連絡を頂ければ、無料で出前講義をいたします。
http://www.drnagao.com/contact/fm2
タブー視されている日本人の「死」の諸問題に風穴を開けるのは
実は、若者ではないかと最近思い至りました。
だから全国の医学生の皆さまには、秋の学園祭にでも呼んで
いただければ、時間が許す限り「死の授業」をいたします。
実は私は学生時代は、そんな企画ばかりしていました。
東京大学の学生さん、関係者のみなさまには、この場をお借りして
昨日、たいへん貴重な機会を頂いた御礼を申し上げます。
PS)
明日は、いよいよ「にしのみやフォーラム」です。
その中で「かいご学会」をやります。(有料です)
http://www.drnagao.com/img/lecture/ninshisyo20150307.pdf
認知症に興味のある方は、どなたでも参加できます。
是非来てください。