《1782》 今日だけは泣いてもいいですか? [未分類]

昨日は、長尾クリニック主催の「やよい会」でした。
この会は、在宅医療で関わって旅立たれた方を介護された家族
と当院のスタッフの交流会で、毎年3月(弥生)にしています。

この2年間に旅立たれた方のご家族に連絡を差し上げたら
40名位の方から「出席」とのお返事を頂きました。
そして昨日、当院のスタッフと自由に語り合いました。

グループワークの中、私は参加者全員を回りました。
顔を思い出すのに少し時間がかかる家族もいますが、
いったん思い出せば、あとは走馬灯のように蘇ります。

冗談交りですが、お叱りの声も受けました。
もっとこうすればよかった、なんて反省もできました。
家族の声を直接聞くことで、私たちも成長できます。

100人いれば100通りの物語があります。
ひとつひとつの物語、そしてその後の物語を語り合って
いるうちに、自然に涙が溢れてきました。

自分でも不思議ですが、スタッフはもっと泣いていました。
今日だけは泣いてもいいですか? という感じでしょうか。
私たちも、本当は辛いのです。

私たちスタッフは全参加者を知ってますが、参加者同士は
もちろん初対面なので、私たちが紹介するという場面もありました。
なんやかんやで語り合っていたら、あっと言う間に2時間が過ぎた。

死んだら終わり、ではない。
死んでからがご縁の始まり。
いつも、スタッフにそう言いきかせています。

しかし忙しさにかまけて、普段はグリーフケアが十分にできていない。
そんな中、「やよい会」と命名しておくと、自然にその時期が来ます。
季節が巡ることに感謝しています。

旅立たれた方の魂が、会場中に飛び回っていたはずです。
まるでホタルのように。
というわけで最後にサザンの「蛍」を歌いました。

司会者も泣いてしまいました。
癒されたのは、私たちの方かもしれません。
振り返りは、家族にとっても私たちにとっても緩和ケアなのです。

泣いて、笑っているうちに、また1年経ったのだ、と思いました。
1年歳を取ったのですね。
「みんな、長生きして来年もお会いしましょうね!」と別れました。

今朝も、早朝からまた新たなお看取りです。
来年の「やよい会」でまた会えるのでしょうか。
今日も1日、走り回っていたので、これを書くのが夜になってしまいました。