今日という日になにかを書くことがとても怖い。
なにをどう書いても、上から目線の3人称になるから。
私は小説家の団鬼六先生の大ファン。
以下は団先生が2011年4月10日のブログに遺した、最期の長文。
団先生はこの日に、隅田川に屋形船を出して花見をしながら、
どんちゃん騒ぎをして、5月6日に順天堂医院で亡くなりました。
今日という日に、団先生が遺された言葉を、東北のみなさまにお届けしたい。
【命しかない。けれど、命がある。これが希望である】
震災の映像がテレビで放映されるたびにこんなことがあっていいのかと目を覆いたくなるような心境である。
老婆が泥だらけになった孫のランドセルを手にしながら、孫の姿を懸命に探していたり、震災で親をなくした子供たちが里子に出されるなどという報道を聞くと、まさに戦後さながらの殺伐とした状況に戦慄さを覚えるのである。自ずと遠い昔、私が中学生であった当時の戦後に自然と思いは馳せる。
当時は日本政府なんてものはあってなきにしの如くで、アメリカ人の管理下に置かれた不甲斐ない状態で、当時の飢え、貧困をはじめ、不衛生、犯罪、人の安否、求職などの不満を一体どこにぶつければいいのかもわからなかった。
家も、食べ物も、親戚も、金もない、という人間がいたるところに溢れていた。あるのは命だけだった。
原爆を落とされ、戦争に負け、日本人としてのプライドをズタズタにされた。それでも日本人は経済大国と言われるまで成長し、医療、科学、経済等全てにおいてトップを争う位置にのし上がってきた。
現在被災地には各地からのボランティア、義援金、救援物資が届き、次第に復興の兆しが見え始めている。
体育館の端で、毛布に包まりながら、私は元気です、心配しないで、と家族を思いやる姿、家が流され、思い出諸共流されても、命が助かったんだから、自分たちよりももっと大変な人たちがいる、と数々の辛さをこらえ、自分よりも他人を気遣う心に日本人の謙虚さと美徳を感じずにはいられない。日本人は希望を失わない。決してへこたれない立派な国民だと思う。
戦後を見ている世代は必ず日本が復興することを信じて疑わない。その姿を目の当たりに見てきたのだから。それでもこれだけ迅速に立ち直ろうとする姿は想像できなかったのではなかろうか。世界各国からの支援や、米国自衛隊が「友達」の腕章をつけて救援活動を行っている姿など戦後では想像もできない心温まる話であった。
命しかない。けれど、命がある。これが希望である。この震災で多く尊い命を失ったがここにある命はそして経験は脈々と受け継がれ大河となるだろう。希望を絶やしてはいけない。
世間では各方面で自粛ムードが漂うが、私は元気な者は元気に過ごすことが今出来ることなのではないかと思う。野球、サッカー、大いにいいではないか。さくら祭りいいではないか。
こんなときだからこそ、楽しさがなければいけない。楽しさは生きる喜びであり、希望に繋がる、と快楽主義者の私は思うのである。生きていることを実感し、共に同じひとときを分かち合うことが出来る喜びを味わおうではないかと思う。下を向いているばかりでは何も始まらない。
東北にもこれから桜が咲くだろう。どんなに寒い冬でも必ず春が来るように、必ず桜は咲くように、どんなに辛い時でも、必ず日は昇る。津波や、放射能に侵された地にもやがて鳥が種を運び、花を咲かすだろう。
今東京は桜が満開である。桜は日本の心である。桜を愛でることは日本人を愛でることだと今年は一層強く感じるのである。
(4月10日記)
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