「多死社会」……死ぬ場所が見つからない!?
さて、日本人の死亡者の数が、年々「減っている」と答えた人には、現在、日本が「多死(たし)社会」に向かっているという認識がないのでしょう。
「多死社会」という言葉を、最近よく耳にするようになりました。先ほど申し上げたように、日本の人口は自然減が続いています。少子高齢化の中で年間の死亡者数は、しばらくは右肩上がりです。
明確な定義があるわけではありませんが、こうした状態を「多死社会」と呼ぶようになったのです。多死社会のピークは2038年~2039年あたりと予測されており、年間167万人の人が死ぬだろう、ということです。つまり、あと25年ものあいだ、この国の死者数は増えていく一方ということ。
ピークを迎える2039年前後、あなた達はそんな大変な状況下で、40代の働き盛りを迎えているだろうし、僕は正直、生きているかどうかさえ微妙な頃です。医者の不養生を地でいくような生活をしていますので、健康長寿のコツだなんて偉そうに人には言いながら、僕自身はその頃に生きている自信がまったくありません。
さて、その多死社会のピークの前には、いわゆる団塊の世代が75歳以上の後期高齢者へと突入する「2025年問題」もありますね。
つまり10年後、ここから一挙に、「多死社会」が加速して、四半世紀あまりで死亡者が3割も増える。何もこれは日本だけの話ではなく、多くの先進国が、似たような状況に陥るわけですが、日本ほど加速度的に超高齢化社会に突入する国は、他にないようです。
これは、すごく大変な事態なのです。なぜ大変かわかりますか?
死ぬ人が多すぎて、「死に場所」がなくなるからです。先日も、NHKのニュースでは、都会の火葬場の数が足りなくて、死んでから一週間も火葬を待たなければならない場合がある、という報道をしていました。
しかし、今はまだ「多死社会」の入り口に過ぎない。一方で、四半世紀でピークが過ぎるのがわかっていますから、財政が厳しい我が国では、これ以上病院や介護施設を増やすつもりはないのです。
とはいえ、現在、日本人の8割が病院で死んでいます。僕は在宅医でもありますから、家で死ぬための講演会をよく頼まれますが、実は、在宅死している人は、全体の1割強しかいません。
「多死社会」なのに、死を見たことがない日本人
このように、「多死社会」であっても、その多くは家で死なないわけですから、昔と違って、子どもはもちろん、若い世代の人達も「死」を目の当たりにすることはほとんどなくなってしまいました。我が国では、病院で死ぬ人が、在宅死を上回ったのは今から約40年前の、1976年です。
昔はもっと、「死」は身近にありました。家族に囲まれて老いていき、木が朽ちるように弱っていきながら、家の蒲団で死んで、家で葬式をあげて火葬場に送り出すのが当たり前だったからです。しかし今、そういったケースがごく稀ですね。
ではここで皆さんに訊いてみましょう。この中で、「死」を見たことがある人は?
生徒Ⅰ 身内の死を見ました。
長尾 その時、何を感じましたか?
生徒Ⅰ 生と死は、連続したものだと感じました。
長尾 連続したもの? それはどういうこと?
生徒Ⅰ なんというか、思ったほどドラマチックなものではなかったというか。「生」と「死」の境界が……見た目では、境い目がなかったというか。漠然としたものでした。
長尾 もう少し言葉を変えて説明できますか?
生徒Ⅰ ……
長尾 では、他の人、誰か「死」を見たことがある人は?
生徒Ⅱ 祖母の死を見ました。
長尾 死に目に会えたのかな? どんな感じでしたか?
生徒Ⅱ 亡くなる日の朝、登校前に祖母が寝ている姿を見て、私が学校から帰ったのと同時に自宅で亡くなりました。その朝、「あ、今日死ぬんだな」って、私にはわかったんです。
長尾 どうして、おばあちゃんが今日死ぬとわかったのだろう?
生徒Ⅱ ……匂いが、いつもと違ったんです。
(参考文献) 「長尾和宏の死の授業」(ブックマン社)