《長尾和宏の死の授業 in 東京大学・12》
緩和ケアと無縁で死ぬのは、たったの5パーセント!
長尾 「あなたより、私が先に、死ぬかもよ」。
まるで川柳みたいですが、私は、毎日のように患者さんに言っています。ウソを言っているつもりも、冗談を言っているつもりもありません。本気でそう思っています。
お看取りで寝不足の日が続いたときなどは、末期がんの患者さんに「長尾先生、顔色悪いですわ。死なないでくださいね」と本気で心配されますからね(笑)。誰が先にあの世に逝くのかなんて、神のみぞ知ることです。
だから先ほども言ったように、余命なんてアテにならないし、若い人だって決して無関係ではないから、私はこうして、若い人に向けて<死の授業>をどんどん広めていきたいのです。
生徒IV つまり、誰しもに緩和ケアは必要になるということですね。
長尾 いえ、私が在宅で看取った患者さんの中では、5パーセントくらいの人は、緩和ケアと無縁の最期でした。たとえば、まだ元気なのにトイレに立たれたときに、排便後に急に亡くなった人がいました。排便や排尿後というのは、血圧がかなり上下動するものです。
中には致死性の不整脈が出て、瞬間的に心臓が停止したような人もいました。さきほど、「枯れるように死ぬ」という表現を用いましたが、こうした場合は、枯れる前に「稲妻に打たれたように死ぬ」という感じでしょうか。
あまりにもあっけなく、突然死される。こういう場合は、結果的に緩和ケアとは無縁の死に方になります。
若い皆さんはまだそこまでイメージできないと思いますが、高齢者向けの講演会でお話すると、こういう質問が飛んできます。
「長尾先生、私は絶対にピンピンコロリで逝きたいのですが、どうすれば願いは叶いますか?」と。
あるいは、こんなことを仰る人もいます。
「リビングウィルは確かに大切だとは思いますが、私は多分ピンピンコロリと逝きますから、日本尊厳死協会に入る必要はないと思います」と。
失礼ながら、こう言う人達は、想像力が欠如している。そんな希望が、想い通りに叶うわけがないでしょう。5パーセントのピンピンコロリ=宝くじに当たるようなものですからね。
人間は、誰もが好きでこの世に生を授かったわけではありませんよね。何か見えない力によって命を授けられ、生かされているだけです。自分で生きているように見えて、決して自分の意思ではない。
実は死ぬるときも同じです。好きなようには、死ねないと思います。
がん専門医は、がんの痛みに寄り添っているか?
長尾 というわけで、多くの人が、最期は緩和医療のお世話になるはずです。好きなように死ねないからこそ、緩和医療が必要になるというわけです。
しかし、こうした感覚をあまり持っていないお医者さんが多いのも現実でしょう。
「死は、医療でいくらでもコントロールできる」、言い方を変えれば「医療とは、患者さんを死なせないことが仕事のすべてである」という考え方が根強い。
生徒VII それは間違いなのですか? 医療とはそういうものではないのですか?
長尾 ある時点までは、正しいです。
だけど、何度も言いますよ、人間というのは致死率100パーセント。どんなにいい治療を施しても、必ずや、延命と縮命の分水嶺が存在します。
私は『抗がん剤10の『やめどき』』という本も書いています。「もしも私が胃がんになったら、抗がん剤治療をいつやめるべきか…」という、ちょっと変わった“がんシミュレーション小説”です。
この本のサブタイトルは、以下です。
「あなたの治療、延命ですか? 縮命ですか?」
死に向かっている人に抗がん剤をやり続けると、かえって命を縮めてしまう場合があります。先ほど申し上げたように、終末期に点滴で溺死させるのもつまり、医療者が命の分水嶺を間違えているからだと私は思っています。
何事も「やめどき」が大切なのです。「やる、やらない」という選択ではなくて、延命につながるのであれば積極的に受けて、その分水嶺を越えたと感じたならば、患者さん自身や家族が「やめどき」を模索する。
しかし、「やめどき」は人によって違ってきます。ただ単に、肉体的な疲弊だけではなく、その人の人生観、そして死生観も関係してくる。
仕事も子育ても、人生の責任を全うしてからの「やめどき」と、現役バリバリで仕事をしている人の「やめどき」では自ずと違ってくるでしょう。
しかし、こうした患者さんのNBM(Narrative-based Medicine)を考えてがん治療をしてくれるがん専門医は、今、どれくらいの割合でいるのでしょうか。あまり多くないから医療否定本が飛ぶように売れる、と分析しています。
たとえば、すい臓がん末期で激しい痛みがあって1週間以上何も食べられずにいる患者さんに、「最期まで抗がん剤治療を続けよ。でないと助からないぞ」と通院を強要する専門医がいました。
その患者さんが痛みで苦しんで、救急車で搬送されてもロキソニンだけ処方して、帰していました。こういうケースを目の当たりにすると、あまりにも痛みに鈍感ながん専門医が、少なくないように感じることがあります。
治らないがんを治すことには必死ですが、肝心の痛みに目が行かないがん専門医が。決して悪気は無いのですが、患者さんの希望と見事に食い違っている……。
「抗がん剤のやめどき」という考えはもちろんのこと、「患者さんの痛みに寄り添う」という視点を欠いた医師です。
(続く)
(参考文献) 「長尾和宏の死の授業」(ブックマン社)